小林りん×岩瀬大輔【前編】「人と違うことは良いことだと、小さい頃に親から教わった」

とはいえ、途中で外資系に行ったり、間にいろいろなことをしているんですが、先ほどお話があった谷家さんとの出会いがあったのが2007年のことです。当時、私はユニセフ(国際連合児童基金)に勤めていました。

「ストリートチルドレン」という言葉をお聞きになったことがあると思います。フィリピンという9000万人くらいの人口の国で、15万人とも20万人とも言われる子供たちが、路上で生まれて路上で生活しています。フィリピンでは日本と同じで初等教育は無料なんですが、それでも彼らは学校に行けないんです。なぜだと思いますか?

それは児童労働の犠牲になるからなんですね。学校に行っていると授業料は無料なんですが、それだと1円の稼ぎにもならないから、学校に行かずに働いているんです。「スモーキーマウンテン」という言葉がありますが、大きなゴミの山に行って朝から晩までゴミを集める。その中から、たとえば瓶の蓋は金属なのでそれを集めるとリサイクルができるんですね。

それを5kg、10kgと集めてやっと5円、10円稼げるという世界なんです。そのために、一日中ゴミ山に働きに行かされる子供たちがフィリピンには何万人といます。

そういう子供たちのために、週末や夜中にバンを出して、国連で識字教育という形で支援させていただくというのが私の仕事でした。私が17歳でメキシコに行ったときの衝撃から考えると、これはドリームジョブだったと思います。私は、こういう貧困層の人たちにこそ、教育を与えたいと思っていたんですね。

マニラを歩いていると、本当に貧富の差が激しくて、貧困層の子供たちがいる一方で、政治家や財閥の方はものすごい家に住んでいるんです。つまり、一度貧困に陥るとそこから出てこられない社会構造になっているんです。

現場に行ってからは、貧困層教育だけをやっていても何かが根本的に変わるのだろうか、という思いがすごく強くなりました。それが2007年くらいのことです。このときはまだ私はフィリピンにいたんですが、主人が日本にいたので毎月日本に帰ってくるたびに岩瀬君と会っては、いろんな話をしていました。

そんな中で「私はこんなことを悩んでいて、今やっていることがちょっと違うような気がするんだよね」と言っていたら、岩瀬君が先ほどお話が出た谷家さんとのディナーをセットアップしてくれたんです。

このご縁のお陰で谷家さんとの出会いがあり、私はそのときに何となくモヤモヤしていた気持ちが、「そうか、学校を作るんだ」と吹っ切れました。そういう気持ちで始まったのが、2008年からのプロジェクトです。

その学校では、リーダーを育てるということで、いろいろな社会のどんな立場でもどんな分野でもいいので、変革やアクションを起こせる、リーダーシップをとれる人を輩出したいという思いでやっています。