安全はこうして数字に変えられた!『基準値のからくり』

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生=著

 そもそも安全とは何だろう? 私たちはなんとなく「安心」は主観的な感情で、「安全」という状態は客観的・科学的に定められると考えがちだが、本当にそうだろうか。随筆『本の枕草紙』で辞書の語釈を比較した井上ひさしにならって、『広辞苑』(第六版)、『岩波国語辞典』(第七版)と『新明解国語辞典』(第七版)で「安全」の定義を見てみよう。

広辞苑:①安らかで危険のないこと。平穏無事。②物事が損傷したり、危害を受けたりするおそれのないこと。
 岩波国語辞典:危なくないこと。物事が損傷・損害・危害を受けない、または受ける心配のないこと。
新明解国語辞典:災害や事故などによって、生命をおびやかされたり損傷・損失を被ったりするおそれがない状態(様子)。

 岩波国語辞典では「心配」という言葉が、広辞苑と新明解国語辞典では「おそれ」という言葉が使われている。「おそれ」をそれぞれの辞書で引くと「恐れ」のほかに「虞」とも書き、よくないこと、いやなこと、悪いことが起こるのではないかという心配や不安を意味するとある。つまり安全とは、危害・損傷・損失などが起こる「心配」がない状態であり、そこにはそもそも、心理的な要素が含まれているのである。

 安全が個人の主観的なものならば、社会としての安全はどのように確保すればよいのだろうか。そのヒントは、国際的な安全規格に関する「ガイド51」(ISO/IEC Guide 51)という文書にある。そこでは安全(safety)を、

「受け入れられないリスクのないこと(freedom from unacceptable risk)」

 と定義している(「リスク」も分野によって定義はさまざまだが、本書では基本的に好ましくないことが起こる可能性や確率のことを指す)。これが筆者の最も好きな「安全」の定義である。

 この定義では、安全とは「リスクゼロ」、つまり絶対安全という状態を意味しない。さまざまなリスクについて、それを社会が受け入れられるか、受け入れられないかを判断し、「受け入れられないリスク」がない状態を安全とする。「受け入れられないリスク」がどれくらいかについて社会が合意を持つことで、安全という抽象的な概念が具体的・定量的に議論できるようになる。これにもとづいて基準値が定められ、守られることで、社会は安全を確保することができる。そのような考え方である。

 放射能汚染について、政府関係者や有識者がいう「基準値以下だから安全」とは(彼らが安全の意味を正しく理解していると解釈すれば)、「受け入れられないと社会が合意したリスク」よりも低いから安全、という意味である。

 これに反発する人たちのいう「基準値以下でも安全とは思えない」とは(実際のリスクの程度を知ることの難しさはおいて)、「自分にとっては受け入れられないリスク」だから安全ではない、といっているのである。安全という言葉を違う意味で使っているのだから、議論がかみ合うはずがない。