安全はこうして数字に変えられた!『基準値のからくり』

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生=著

 その根拠は、1876年(明治9年)の太政官布告にまでさかのぼる。当時、欧米諸国が21~25歳程度を成年年齢と定めていたのに対し、それらの国の文明・制度に学んでいた日本は、より若い年齢を成年とした。その理由が面白い。欧米人と比べ、日本人が「精神的に成熟している」ことと、「平均寿命が短い」ことから、20歳が成年年齢として採用されたのである。

 飲酒禁止が20 歳未満となったのは、この数字が脈々と使われているからであった。しかし、いまの日本人が欧米人よりも精神的に成熟しているといわれれば首をかしげたくなるし、日本が世界に名だたる長寿国であることを考えれば、なんとも奇妙な気分になる。

「安全」とはどういう状態だろうか

 基準値が脚光を浴びるのは、たいてい、身の回りから予期せぬような化学物質などが見つかって、その基準値を超過したときだ。するとテレビや新聞などで政府関係者や有識者が、

「十分に安全を見越して定めた基準値なので、多少超えても心配する必要はありません」
「現在は基準値以下になっているので安全です」

 などと説明する。第一原発の事故では、それが顕著だった。食品や飲み水から検出された放射性物質について、内閣官房長官や原子力安全委員らは「安全」と繰り返した。これに対して、

「基準値以下でも安全とは思えない」「基準値が十分に低いとは思えない」

 と反発する人たちや、

「そもそも政府関係者や有識者のいう『安全』は信頼できない」

 という人たちまでがいて、メディアやインターネットなどで激しい論陣を張った。

 そうした状況を見て気づかされたのは、政府関係者や有識者がいう「安全」と、いくら説明を聞いても頑として納得しない人たちにとっての「安全」とは違う、ということだった。