第83回 林芙美子(その一)放埒に生きぬいた女流文学者---教師の尽力で文才は見出された

福田 和也

卒業して、即座に上京した。
高女時代からの友人である岡野軍一を頼ったのである。
岡野は、因島出身。
当時、明治大学商学部に在学中であった。
翌年、岡野は明治大学を卒業したが、芙美子を娶ることはなく、両親が勧めた娘と結婚し、二度と戻らなかったのである。
まあ、当時の堅気であれば、芙美子のような奔放な女性を妻として迎える事を躊躇するのは仕方がなかったのだろう。
かなり酷な仕打ちである事は、間違いないけれど。

本格的に日記を書きだしたのは、この頃からだと云われている。
そして、この日記が、彼女の救世主になったのだ。

林芙美子(1903~1951) 代表作に『放浪記』がある作家・芙美子は幼い頃、行商を営む親について、十数回も引っ越した

芙美子は、関東大震災を本郷の根津の下宿で受けた。
あらかたの店が倒壊してしまったので、母と神楽坂や道玄坂、成子坂などに夜店を出して、糊口をしのいだという。
戦前、女性のための仕事はほとんどなかった。
芙美子は、生活のため、カフェーの女給になった。
と同時に、詩を作り童話を書いた。
原稿を買ってもらうために、様々な出版社、新聞社に足を運んだが、買ってはくれなかった。

詩の交際で、アナーキスト詩人たちと懇意になった。萩原恭次郎、岡本潤、壺井繁治、友谷静栄、辻潤などである。
本郷坂の白山上、肴町の南天堂書店二階のレストランで、フランス料理を食べた。
二十歳だった、平林たい子を初めて知ったのも、その時だったのである。

この年の七月、芙美子は、これまで書いてきた詩と、友人の友谷静栄の詩を集めた『二人』という同人誌を発行した。
資金は、南天堂レストランの常連である神戸雄一が出してくれた。
『二人』は、その後、三回ほど出た後、廃刊になった。
新劇の研究家であり、俳優としても活躍していた田辺若男は、芙美子の詩を高く評価してくれた。
芙美子は、田辺と暮らすようになったが、田辺の恋人が女優の山路千枝子だったと知って、身を引いた。

心機一転して芙美子は、世田谷太子堂の家に住んだ。
そばには、平林たい子、黒島伝治、前田河広一郎らがいた。
収入がほとんどないので再び、女給に出た。
作家の徳田秋声や宇野浩二を訪ね、不幸を訴えた。
徳田秋声は、芙美子に四十円という大金を与えたという。

『週刊現代』2014年6月28日号より

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