感動読み物この男がいたからダルビッシュ、田中はメジャー入りできた 伊良部秀輝 哀しき最速エースの肖像 後編 父との対面と、突然の別れ

週刊現代 プロフィール

反戦運動はアメリカ全土に広がっていた。アメリカのために戦ったのに国全体を敵に回しているような気分だった。やがてトンプソンは酒に溺れるようになった。ウィスキーで頭を麻痺させないと眠れなかったのだ。酒量はどんどん増えて行った。

「テレビからベトナムの映像が流れてくるとすぐに消した。戦争映画など一度も見ていない。ベトナムではたくさん人に会ったのに、一人の名も覚えていない」

一人もだ、と繰り返した。

「私は何度も拳銃を頭に突きつけて死のうと思った。母が気づいて止めた。自殺をするのは臆病者だとね」

このことを話すのは君が初めてだと小さな声で言った。

「一年ぐらいは和江と連絡を取り合っていたし、お金を送っていた。それからしばらく記憶が飛んでいる。私は心を失ってしまった。精神状態が落ち着いてから平仮名と片仮名を使って和江に手紙を書いた。しかし、返事はなかった」

実はトンプソンにはアメリカに別居中の妻がいた。妻とは1972年に離婚。その翌年に除隊し、軍の食糧関係の職に就いた。'93年にはタイ出身の女性と再婚している。

息子・秀輝との再会がかなったのは、'99年春のことだった。

その2年前の7月、ヤンキースファンだったトンプソンは伊良部の初登板をテレビで観ていた。マウンド上の「ジャパニーズ・ノーラン・ライアン」は自分によく似ていた。そしてアナウンサーが読み上げた彼の誕生日—5月5日を耳にして、「99パーセント、あの大きな赤ん坊だ。自分の息子だ」と確信した。

思い悩んだすえ、トンプソンはヤンキースが春季キャンプを張っていたタンパ(フロリダ州)へ向かった。

しかし、伊良部と会ってみると話は全くはずまなかった。

伊良部の顔は強ばり、目は泳いでいた。トンプソンをまともに見ることもできなかった。

伊良部は何を話していいのか分からないようだった。伊良部は突然、トンプソンにたずねたことがあった。

「ここまで来るのにどれくらいおカネがかかったんですか?飛行機代とかレンタカー代とか、かかってますよね」

トンプソンは質問の意味が分からなかったが、アンカレッジとタンパの往復運賃を聞かれたのかと思い、その金額を答えた。すると、伊良部は財布を取り出して、札を数えはじめた。