第81回 ココ・シャネル(その三)70歳を過ぎてなお店を構えて再挑戦。喝采とともに受け入れられた

福田 和也

のべつ幕なしに喋り続けた

初めて、ココ・シャネルに声をかけるのは、リルーにとっては、大変な試練だった。
アトリエの前を、躊躇しながら、何度も往復し、やっと声をかけると、シャネルに云われた。

「この前から何度もあなたをみかけましたよ・・・・・・(中略)そのスーツ、あなたに似合っていますね、マドモアゼル・・・・・・で、私になにかご用?」(同前)

用意してきたセリフをすっかり忘れてしまい、這々の体で逃げて来た。
けれども、やはり彼女はついていた。
シャネルと親しいミル兄弟が、今夜、シャネルと晩餐をする事になっているので、来たらどうか、と誘ってくれたのだ。
その夜、シャネルは御機嫌ななめだった。

「この娘、どうしてここにいるの?彼女ったら、ブティックで私につきまとったのよ」

ミル兄弟が、とりなした。
彼女は、ファッション界の大立て者、クリスチャン・マルカンの妹、リルーなのだ、と。

シャネルの部屋 パリのカンボン通りにはシャネルが生前愛した高級な家具と調度品のある「部屋」が残る

ディナーが終わった。
別れ際にシャネルが、ジェラール・ミルに訊いた。

「今日は何曜日だったかしら?」

「木曜日ですよ、ココ」

するとシャネルは、云った。

「月曜から、仕事をはじめなさい」

こうしてリルーは、カンボン通りで働くことになった。

リルーは、プレスの担当という事になった。
仕事は気に入ったし、給料もよかった。
けれど、何故か退屈だった。
多くのジャーナリストに「ノン」とだけ云い続けるのが、仕事と云えるのだろうか・・・・・・。恵まれた環境だというのは解っているのだけれど。

フルシチョフ夫人のためにローブを仕立てあげるのは、東西冷戦を考えに入れれば、かなり大事な仕事ということになるのだろう。

仕事中でも、食卓でも、ベッドでも、歩行中でも、車の中でも、シャネルは喋り続けた。
そうした現象はどことなく気象にも似ていた。まるで雲か霰のように、のべつ幕なしに喋り続けた。
どうして言葉が溢れてくるのか。
一番、身近なリルーですら、その答えを見つける事はできなかったろう。

マドモアゼルは、子供の頃は、とても静かな子だったとリルーは聞いた事があった。
それが、どうしてこんなに饒舌な人になってしまったのだろうか?

『週刊現代』2014年6月14日号より

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<72歳まで生きてきて少し分かったことがある。それは「人生は運と縁とセンスである」ということだ。人生は真にままならないものではあるが、運と縁とセンスに恵まれていれば、仕事も遊びも恋情も友情も何とかなるのではないだろうか。---島地勝彦>

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