特別対談 加藤陽子(東京大学教授)×高木徹(NHKディレクター)---「国際メディアと日本人」

加藤陽子, 高木徹

加藤 同じことは、一九四一年十月の日米交渉でも起こります。ゾルゲ事件で逮捕・処刑される尾崎秀実は、満鉄の部内誌でこう述べていました。今や政府上層部は、アメリカとの戦争を避けたいと考えている。けれども、満州事変以来、国民は反英米的であれと指導者階級から教え込まれてきた。日米交渉がもし今妥結でもすれば、国民が黙っていないだろう、こう予想していたのですね。

ですから、あの戦争に至る過程で、それを防ぐ、あるいは途中で終わらせるどういう手段があったのかというと、私は難しかったのではないかと思っています。

多様性に目をつぶらない

高木 つまり、わかる人にはわかっていたけど、多くの国民はまともな言論報道がなかったからわからなかった。そのせいで、わかっている人が何とかしようと思っても、世論が発火するのが目に見えているからどうしようもなかった、ということですね。メディアの一員として反省を忘れてはいけないですね。

しかし、今は、国民が目をふさがれているわけではありません。むしろ情報はあふれている。そうすると、みんなが幣原喜重郎や吉野作造や尾崎秀実になれるはずですけど・・・・・・。もしかしたら、情報の多寡はあまり重要ではないのかもしれませんね。

加藤 戦前・戦中も、本当のエリートや知識人でなくても、「日本は負ける」と言えた人はいました。では、なぜ気がつけたのかというと、たとえば一九二〇年代にアメリカ映画などにふれたことで、その背後にあるアメリカの文化を類推できたのではないでしょうか。そうすると、「アメリカ人は潜水艦に長時間乗っていられない国民だから、日本が草を食んで五年間我慢すれば勝てる」といった精神論では無理だと気づける。だから、直接の情報や知識がなくとも、忖度しうる第二、第三の文化的な力を持っているかどうか。そこを涵養するのが大事だと思います。

高木 「報道」だけが情報ではないということですね。映画も重要な情報源になりうる。

加藤 はい。それから、多様性に目をつぶらないことを徹底するだけでも、状況はかなり違ったでしょう。

日本では、宗教者の反戦・徴兵忌避が認められなかったどころか、大本教や天理教、PL教団などに対して大変な弾圧がなされました。こうした多様性がきちんと確保されていれば、それだけで、足りない情報を補完できたのではないでしょうか。

高木 多様性という点は、今もまだ大きな課題として残っている気がします。アメリカを代表するアンカーであるステファノプロスはギリシア系で、アマンプールはイラン系です。それから黒人が大統領になったのも、私はやっぱりすごいことだと思います。このあたりの懐の深さがアメリカの力の源であるように思うのですが、それに対して今の日本がどれだけ多様性を認めているかというと非常に心もとないですね。

加藤 多様な議論を担保する仕組みも、足りないかもしれません。たとえば原発事故の後に「御用学者」という言葉が流布して、専門家は全部信用できない、という風潮が広がりました。これは国民が悪いわけではなくて、社会の中に、御用学者を批判しうる力を持った第三者的な機関がなかったというのも一因です。『国際メディア情報戦』のなかで、アメリカに助けを求めてやってきたボスニアの外相シライジッチに、NGOの人がジム・ハーフを紹介したと書かれていますよね。そういうNGO、NPO的な活動、政府に対して民の力をもっと発揮できるような機関がまだまだ足りない。

帝国主義の再来?

高木 あまり日本人論みたいにしたくないんですけど、しかしやっぱり、多様性を欠くような性質が戦前も今もずっとあって、そのことが国際メディア情報戦の舞台で不利に働いている面は、否定できないと思います。