【第12回】はこちらをご覧ください。
バブル崩壊と97年の橋本緊縮財政により我が国の国民経済がデフレ化する以前、日本経済の強さの根幹、いわゆる「コア・コンピタンス(中核的能力)」は何だったのだろうか。あるいは、日本企業の強みは何だったのか。筆者はサラリーマン時代、アメリカ人の経営者などから、
「日本企業の経営者の視点は、極めて長期的だ。短期の利益ばかりを追求する(追求せざるを得ない)アメリカ企業では太刀打ちできない」
という感想(多少、おせじも入っているのだろうが)を何度か聞いた。
現在の我々の生活が極めて快適で、それなりに豊かに暮らしていけるのは、「緑の革命」に代表されるイノベーションのおかげだ。筆者は「イノベーション」といった定義曖昧な用語が本来は嫌いなのだが、ここでは「世界を変えるインパクトを持つ技術投資」という意味で使っている。
緑の革命とは、1940年代から60年代にかけ、品種改良や化学肥料の発達により、農業の生産性が劇的に向上した「革命」である。当時から、
「地球上の人口は増えすぎた。このままでは食糧生産が追い付かなくなり、世界中で餓死者が発生する事態になる」
と、マルサスの「人口論」的な懸念を口にする人が少なくなかったのだが、現実には農業の生産性が急上昇したことで、予想は現実のものにはなっていない(無論、内戦等で経済システムが破壊され、少なくない餓死者を出した国は存在するが)。
そして日本におけるイノベーションといえば、交通インフラの整備である。現在の日本国民は日常的に新幹線や高速道路を利用し、繁栄を謳歌している。この種の交通インフラについて「無駄だ」などと切り捨てる人は、是非とも一度ミャンマーなどの、インフラ未整備な国に行ってみてほしい。交通インフラが充実した日本国において、自分がどれだけ恵まれた生活をしているかが分かるだろう。
発展途上国だけではない。たとえば、スウェーデンは確かに先進国ではあるが、公共交通インフラは日本ほど充実していない(人口が少ないせいもあるのだろうが)。筆者は先日、ストックホルム中央駅からスカンジナビア半島南部のスコーネ地方最大の都市マルメ(目の前がデンマークのコペンハーゲンだ)に取材旅行を敢行したのだが、同国には残念ながら新幹線クラスの鉄道網はない。
特急列車に乗り、揺られること5時間弱、ようやくマルメに到着したわけだが、「ストックホルム-マルメ間」は500キロ程度である。ちょうど、東京と大阪間の距離感に似ているので、新幹線であれば、時間を半分にまで短縮することができるだろうなどと、不満を覚えてしまった。
日本人以外の人々には、
「贅沢言うな!」
と言われるであろうし、その通りではあるのだが、やはり「贅沢」な思いを抱いてしまうわけだ。筆者は日本人なのである。
新幹線が開業したのは、ちょうど半世紀前の1964年。すなわち、前回の東京五輪の開催年だ。
当時、戦後の高度成長の真っただ中において、東海道線がパンク状態で、いわゆるボトルネックとなっていた。東京と名古屋、大阪を結ぶ東海道の輸送難を解消し、経済成長の妨げとなっている「瓶の首(ボトルネック)」を太くする必要があったわけだ。