第78回正力松太郎(その四)「日本テレビ」開局。普及のためと盛り場や街頭に高価なテレビを並べた

福田 和也

これでは、なかなかテレビは普及しない・・・・・・。そう考えた正力は、奇抜なアイデアをもちだした。
盛り場や街頭に、テレビ受像器を設けたのである。
当時の受像器は、かなり小さいものだったが、それでもテレビの魅力は十分に浸透したのである。
特にプロレスの人気は高く、力道山はたちまち国民的英雄になった。

テレビ放送開始1953年、東京・秋葉原の電器店でテレビに見入る人々。同年、正力は日本初の民間放送となる日本テレビを開局させた

正力に、原子力についての知識をもたらしたのは、橋本清之助であった。
橋本は、大政翼賛会周辺の活動家だったが、大戦後、日本原子力産業会議の初代事務局長を務めた人物である。
橋本は正力に対して、アメリカでは原子爆弾で発電しよう、という気運がある、と教えたのだった。
正力は、敏感に反応した。

「国は原子力発電の開発に全力を尽くす。地方自治体は、アイソトープの利用法の開発を手伝っていただきたい」

原子力委員長に就任した直後の発言である。

昭和三十四年五月五日。
第三回東京国際見本市が開かれていた。
見本市の目玉は、実働原子炉UTRだった。
その生涯を通じて、ただ一度、昭和天皇が見た、原子炉だ。
しかし、原子炉と云いながら、出力は、わずか〇・一ワットであった。
実際には、原子炉を安定的に運転するために出力を抑制していたのであり、百キロワットまでは、問題なく発電できたのである。

昭和天皇、皇后は、五月十二日に見本市を訪れた。
ドイツ、チェコスロバキア、アメリカなどの特設コーナーを見て回ったあと、天皇は、原子炉を視察した。
天皇は強い興味を抱いたようで、自身で原子炉の周囲に巡らされた柵を取り払い、階段を昇り、炉心部を直接、覗いた。
これもまた、正力松太郎の原子力平和利用のプロパガンダという事になるのだろうか。

『週刊現代』2014年5月24日号より

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