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田原: 郷原さんが特捜部にいたのが1993年、その少し前の1989年くらいからリクルート事件というのがあったんですね。これが自民党を無茶苦茶にするんだけれども、リクルート事件(※)は今振り返るとどういう事件だったんですか?
郷原: やはり、新規公開株の割り当ての制度自体にいろいろな歪みがあったんだろうと思うんですね。
田原: あの頃は、新しい株を上場するときに、事前に社会的信用のある人に買ってもらうというのは当たり前だったんでしょう?
郷原: 当時は、有力な人、政治家に対しても財界人に対しても割り当てるということが当たり前に行われていたんだと思います。
田原: そういう当たり前のことをリクルートの江副浩正さんがやったら、それが犯罪だということになっちゃったわけですね。
郷原: それに火を点けたのは大手新聞だったと思います。そして新聞によって「リクルートはけしからん」とか、「リクルートから新規公開株の割り当てを受けた政治家はけしからん」という世論が作られていくなかで、検察がまさにそれに乗っかるような形になったわけですね。
田原: それで、捜査の手が森喜朗さんから宮澤喜一さん、加藤紘一さん、藤波孝生さん、最後は中曽根康弘さんに至ろうとするところまでいったというわけですね。
郷原: それが最終的には大きな疑獄事件ということになっていくわけですね。ただ、それは特捜と司法メディアのそういう関係があったから、あそこまでの事件になったと思います。
田原: あれは本当にあそこまで大きな事件になるようなものだったんですか?
郷原: 私は当時から、これは元々新規公開株を割り当てることについてはしっかりルールができていなかったんだし、だからそれを新規上場する会社の経営者の側の裁量に任せていたら、会社にとって少しでも有利な割り当て先に割り当てるのは当たり前のことだと思っていましたね。それがあれだけの大きな犯罪としてとられること自体がどうなのかということは、当時から疑問に思っていましたね。
田原: 僕はあの事件を当時、「正義の罠」という連載ドキュメンタリーで採り上げたんですよ。つまり、「検察は正義面をしているけど、そんなものは正義じゃない。正義のような顔をしていながら、実はとんでもないことをやっているんだ」と書いたんです。
郷原: リクルート事件については一応正義になることに成功したんですよね。ところがそのあと、東京佐川急便事件で、世の中の期待が物凄く大きく盛り上がっていて、しかも金丸信さんという、自民党のドンで世間から見れば如何にも巨悪という雰囲気の人も出てきたわけです。
それなのに、検察はほとんど何もできなかった、期待を裏切った。それによって検察庁の看板にペンキが投げつけられるような、そういう状況になってしまったわけです。それがそのあとのゼネコン汚職事件に繋がっていくわけです。
田原: それがこの本の題材に繋がっていくわけですね。