[サッカー]
田崎健太「トニーニョ、日本サッカーの礎を築いた男を訪ねて」

スポーツコミュニケーションズ

トニーニョが発した意外な名前

 トニーニョはJリーグ誕生と共に、読売クラブから、創設されたばかりの清水へと移籍した。勝負強い選手で、得点を挙げた後、飛行機のポーズで喜ぶ姿が印象的だった。
 彼もまた今の日本サッカーの礎を築いた人間の一人である。トニーニョは長足の進歩を遂げた日本をどんな風に見ているのだろうか――。

 ジーコは引退後も日本と繋がりが切れなかった。一方、トニーニョの話はほとんど聞かない。探してみると、彼はサンパウロ州のジャウーという街に住んでいた。
 ジャウーは、元日本代表の三浦知良が名を挙げたクラブ「キンゼ・デ・ジャウー」がある街だ。トニーニョはカズと共にキンゼ・デ・ジャウーの下部組織にいたことを思いだした。

ジャウーの広場に現れたトニーニョ

 トニーニョに「話を聞きたい」と連絡をとると、快く受けてくれた。
 南半球のブラジルはすでに秋に入っているが、サンパウロから約300キロ離れたジャウーの街は、太陽がじりじりと照りつけ、暑かった。

 待ち合わせ場所とした、教会のある広場にトニーニョがやってきた。かつてと同じように愛嬌のある笑みを浮かべていた。
 まず彼に日本からブラジルに戻った後のことを尋ねた。そこで出てくる名前は意外なものだった。

 FCバルセロナ時代のルイス・ファン・ファール、ロベルト・クーマン、オリンピック・リヨン時代のジャック・サンティニ、そしてビジャ・レアル時代のマヌエル・ペレグリーニ――。皆、世界的な名将である。

 ファン・ファールは今回のワールドカップでオランダ代表を率いており、香川真司のいるマンチェスターの次期監督の候補者の1人である。ジャック・サンティニはオリンピック・リヨンで名声を築き、フランス代表監督となった。ペリグリーニは、世界で最も競争の激しい、イングランドのプレミアリーグのマンチェスター・シティの監督として結果を残している。
 欧州のクラブチームでプレーしたことのない、トニーニョに彼らと接点があるとはぼくは思ってもいなかった。なぜ、トニーニョの口から錚々たる面々の名前が出てきたのか――。

(つづく)

■田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。最新刊は『怪童 伊良部秀輝伝』(講談社)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。