ISHINOMAKI2.0代表理事 松村豪太さん【前半】「若者が大活躍する新しい石巻づくりへの挑戦」

『東北発10人の新リーダー~復興にかける志』より抜粋
田久保 善彦

それでも松村は、深刻には考えていなかった。今までも宮城県沖地震の話題と一緒に津波が語られてきてはいたが、年に数度出る津波警報の際にも、結局到達しなかったり、津波が3cm観測されたといった程度だったからだ。もしかしたら今回は大きな地震だったので、前の道路ぐらいまで来るかもしれないし、床上浸水したら面倒だなという程度にしか思わなかったのだ。

そしてスポーツ用品店の大切な取引先である学校に納品予定の、生徒の名前が入った大量のジャージを濡らさないように2階に上げるという作業を手伝っていたその時、津波がやってきた。その時のことを松村は次のように語る。

「1階の天井まで津波がきました。3階建ての建物だったので、2階に上がり、命の危険は差し迫っては感じなかったんですが、怖かったです。壁がガラスの建物でしたが、水圧で割れてしまって、どす黒い水が渦を巻くような感じで建物の中に入り、通りに船や車などが流されていく光景は、本当にパニック映画のようでした」

その日はそのまま2階にとどまった。最初の1時間ぐらいは携帯電話の電池が残っていたため、メールで家族たちの安否を確認することができた。夜中に車のクラクションが鳴り続けていたり、車の中に孤立している人たちもいて、そのうちの3人が松村たちのいる建物に避難してきた。叔父や叔母、店のスタッフが一緒にいる状況で、松村はおそらく病院機能がまひするだろうと考えた。風邪やちょっとした怪我もしないように行動し、皆で何とか生きてやろう、パニックになってはいけない、冷静になろう、と自分に言い聞かせていたという。

津波の水が引き、状況が落ち着いたのは次の日の朝だった。翌朝のことを松村は石巻スポーツ振興センターのブログ(「爆心地から」)に次のように残している。

被災後、最初の朝。結局、大津波の夜は、NPO事務局2階で明かした。夜、膝丈くらいまで水がひいたときに、3人の被災者が事務局に避難してきた。2人は水につかった車の中で震え、1人は車の屋根から建物の軒先につかまり、その上でじっと耐えていたらしい。水の上に雪が降りしきる夜で、特に車内のほうの高齢の女性は、低体温症が心配され、満足に口もきけない状態であった。ずぶ濡れの服を着替えてもらい、事務局倉庫に20年以上放置していたウイスキーで体を温め、事務局内の人間と避難者皆で、体を寄せ合いながら毛布にくるまって暗い夜を過ごした。

支援活動の開始

支援活動の開始津波の翌朝、明るくなって外の様子を2階から見下ろしてみると、大量のヘドロの中を何人かの人が歩いていた。改めて店の被害を確認した後、貴重品がないことに気付き、探しながら泥かきをしていた。松村の自宅は、事務所から3㌔ほど離れた場所であったが、まちは水没しており、簡単には戻ることはできなかった。停電している環境で、また着る物などもなくなっていたため、夜になるまでに事務所を離れ、高台にある石巻高校へ身の回りの貴重品を持って移動した。