ISHINOMAKI2.0代表理事 松村豪太さん【前半】「若者が大活躍する新しい石巻づくりへの挑戦」

『東北発10人の新リーダー~復興にかける志』より抜粋
田久保 善彦

「どうやって組織を運営し、収支が成り立つのかに関心がありました。また総合型地域スポーツクラブを、石巻で運営するということも面白いと思いました。でも、実際にやってみると、あんまり楽しくなかったんです。NPO法人なので助成金を獲得することも重要で、もちろん中身のあることを実施しているのですが、助成金獲得のためのアリバイ作り的思考で仕事をしてしまっている自分もいたんです。色々な仕事の中でも楽しめたのは、ウォーキングのプログラム作りです。地域の歴史的な場所や自然景観などを選び、コースを作り、地図の中に写真などをつけて見えるようにし、改めて自分のまちを楽しくしようという考え方でやりました。

60歳以上の方が主な参加者で、月に2度ほど開催しました。普段はクラブマネジャーなので、現場に出ることは少なかったのですが、この仕事では、自分が出ることが多かった。コースやプログラムを作ろうとした時に初めて石巻のまちというものに目を向けたのだと思います。まちの歴史を改めて知り、自分も地域を真剣に知ろうとしていなかったことに気付き、もっと石巻の良いところをアピールすればいいのにと思っていました」と振り返る。

この頃までの松村は、石巻というまちについて、長年住みながらも、つまらないまち、という印象しか持っていなかった。だからと言って、自分が楽しくするといった強い思いも持てず、少し引いた立場で傍観していたのだ。また、自分が何をやるべきかということについても悶々と考える日々を過ごしていた。

東日本大震災発生当日

東日本大震災発生当日、松村は遅めの昼休みを取り、勤めていたNPO法人の事務所の休憩室で横になっていた。建築後30年以上経っている古い木造の建物の2階にいたので大きく揺れたという。2日前にも震度5弱の地震があったが、それとは比べものにならない揺れ方だった。揺れが収まった時は、ちょうど30年周期ぐらいでやってくる宮城県沖地震がそろそろ来る、と言われていたので、今回の地震がまさしくそれで、30年も皆が怖がっていたものがようやくきて、無事乗り越えたなと思った。

建物の壁が落ち、かなりのダメージを受けたので、その瞬間はマネジャーとして、金銭的被害が相当出ることが頭をよぎっていた。勤めていたスポーツクラブの事務所はスポーツ用品店の中に入っており、かなり商品が散乱していたので、松村はそれらを片付け、その後、まちの様子を見に行った。半径100mぐらいの範囲を歩いてみたが、地震で停電し、信号が消えていたり、歴史的価値のあるお茶屋さんが屋根だけ残して潰れていたのを見て、ただ事ではないと実感した。

「まちの被害と自分の店の被害で頭がいっぱいで、混乱していたのかもしれませんが、津波の防災無線は聞こえませんでした」と松村は語る。

被害確認など混乱の中、一時間ほど経った頃、外回りに行っていた叔父が、「大変だ、大津波が来るぞ!」と言って帰って来た。まちの中では、実際に海岸の方や別の地域で津波が到達するのを見た人が、車から身を乗り出しながら、「早く逃げろ!」と、ただ事ではない様子で伝えていたという。