ISHINOMAKI2.0代表理事 松村豪太さん【前半】「若者が大活躍する新しい石巻づくりへの挑戦」

『東北発10人の新リーダー~復興にかける志』より抜粋
田久保 善彦

その後、松村はまた宮城県に戻り、東北大学法学部に進学し、大学院にも進学した。法学部を選択した理由は、単純に文系の偏差値でトップだったのが法学部であり、政治よりは関心があったという単純な理由からだ。松村は当時の自分をこう語る。

「どこのまちにでもいるようないわゆる田舎の神童で、不良ではないが少しひねくれていて、自由に生きている感じでした。震災前までは石巻というまちが全く見えていなかったと思います。どういう人が動いていて、どういう過程で物事が決定しているのかなどが分かりませんでした。無意識に東京や仙台、北海道、そして観光で行ったいろんなまちと比較して、いつも石巻より楽しそうと思っていたんです。勝手に石巻はつまらないと思っていました」

大学では研究者になることを目指していた。

「法学にとっては何より言葉が重要です。ある意味、言葉遊びのような側面もあり、それが単純に楽しく、勉強、そして探求というものが好きでした。何か真剣な想いを持って研究者の道を目指すというよりも、正直ふらふらする感じで大学にずっと残っていたんです」と、当時を振り返る。

大学よりも指導教官の先生に思い入れがあり、昼はその先生と過ごし、夜は友人たちと遊びに出かける毎日だったという。結局、大学、大学院には休学もしながら30歳手前まで8年在学していた。

大学院修了後の生活

大学院修了後の生活大学院修了後も松村は、特にこれがやりたいといったこともなく、目的もなく、何となく毎日を過ごしていた。

「就職活動というものはしたことがないんですよ。大学院を修了した後も、基本的にはその当時の大学の先生の弟子という立場で、学生時代と同じように昼はその先生と過ごして、夜は他の仲間と夜遊びというような生活をしていました。その後、東日本大震災の2年ほど前に、叔父が立ち上げていたスポーツのNPO法人の活動をさらに強化するということで、声をかけられてクラブマネジャーとしての仕事をするようになりました。スポーツというより、NPO法人というものについて興味を持ちました」

当時、松村が働いていたNPO法人石巻スポーツ振興サポートセンターは文部科学省が主導している総合型地域スポーツクラブという形態のもので、松村の叔父が理事長をしていた。総合型地域スポーツクラブというのは、人々が身近な地域でスポーツに親しむことのできる新しいタイプのスポーツクラブのことで、①子どもから高齢者まで(多世代)、②さまざまなスポーツを愛好する人々が(多種目)、③初心者からトップレベルまで、それぞれの志向.レベルに合わせて参加できる(多志向)、という特徴を持ち(文部科学省のホームページより引用)、地域住民により自主的・主体的に運営されるスポーツクラブのことをいう。生涯スポーツを通じて、地域のコミュニティーを担うスポーツクラブづくりを目指しているのだ。