『東北発10人の新リーダー復興にかける志』第2章より抜粋
石巻市北上町十三浜は、国内最高級クラスのワカメを産出する地域である。東北の豊かな森を駆け抜ける北上川の河口に位置するため、豊富なミネラルを含んだ淡水が外洋と混ざり、海藻の育成にとって国内有数の最適な漁場を作り出すのである。
東日本大震災当時、十三浜も、他の三陸沿岸部地域と同様に津波により壊滅的な打撃を受けた。漁業再開のめどが立たない状況で多くの漁業者が撤退する中、存続のために五つの漁師の家族が一つになり力を合わせて立ち上げたのが、漁業生産組合「浜人」である。
浜人は、漁業協同組合や市場を通す既存の仕組みとの関係を維持しながらも、インターネットを活用した直販や都市部の消費者と直接つながることで、三陸の漁業に新しい風をおこし、着実に実績を上げている。そして、震災前から漁業が抱えていた後継者不足や漁業地域の過疎化などへの問題を改善し、次世代に漁業をつなげていくための挑戦を続けている。若い力でその変革をリードしているのが、阿部勝太である。
十三浜でも代々有名なワカメ漁師の家に阿部は生まれた。家業はワカメ漁、住まいはワカメの加工場に隣接している。小学生の頃から海での作業の手伝いは日常だった。中学生の時は、午前中はクラブ活動に参加し、午後からは海に出る生活を送っていたという。石巻商業高時代はオートバイで40分の道を通学しながら手伝いを続けた。長男の阿部が家の手伝いをするのとは対照的に、弟は早くから外に出ることを決めていた。
海で手伝いをする中で、祖父や父との間で阿部が漁業を継ぐことも語りあった。彼にとってワカメ漁を引き継ぐのはごくごく当たり前のことだったのだ。しかし阿部は、高校生のころに一度だけ進路で悩んだことがある。ヘアメイクアーティスト(美容師)に憧れを持っていたのだ。いつも一緒に仕事がしたいと言ってくれる祖父の言葉と、「跡取りが家にいない阿部家」になるのはどうしても避けたいという思いが錯綜した。
高校3年生時、迷った末に、阿部は漁業を継ぐことを決意した。そして同時に、漁師になる前に5年間だけ外を見る時間が欲しいと父親に頼んだ。阿部は当時をこう振り返る。
「漁師になるにしても、ただ漁師になるのではなく、業界で名をはせた人間になりたいという漠然とした野心がありました。そのためには、外を見る必要があると思いました。正直、石巻から出て遊びたいという思いもありましたよ。だけど、5年間の中で、漁師になるかならないかということで迷ったことは一度もありません。本当に5年間いろいろ見てみたかっただけ。迷うくらいなら決断していませんから」
阿部は仙台、名古屋と渡り歩き、5年かけてさまざまな人に出会い自身の知見を深めた。そして約束通り、何の迷いもなく十三浜に戻ってきた。東日本大震災の2年前のことだった。自分が信じた道を、自分が決めた道を迷わず進んでいく阿部の姿がそこにはあった。