「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した

週刊現代 プロフィール

それでも、弟が書き下ろしたこの文章を読んで、それが有効活用されるのであればまったくの無駄でもないだろう、と思う。現在親である人、これから親になる人が、何かを考えるきっかけになれば、と。それは5年前からずっと言い続け、考え続けていたことだ。

加害者の家族であるという事実が、優次の人生に与えた影響はどれほど大きかったのか。手記から引用していく。

まず職を失った。事件当日、ほとんど着の身着のままでアパートを抜け出したときの緊張感、不安と高揚は、いまはもう忘れかけていますが、職場を失うのがつらかったことはハッキリと覚えています。あの会社は社会との唯一の接点でした。青森で腐っていた自分を生き返らせてくれた大事な場所でした。

 

でも、やはり退職はどうしても避けられなかった。事件当日の深夜、退職届を書きました。僕がいなければ、(職場に)マスコミが来ても知らぬ存ぜぬを通せる。辞めたくはなかったけど、迷惑をかけずに済む方法がそれしかなかった。

事件から3ヵ月。報道が落ち着くと、優次はアパートを引き払い、当時住んでいた東京を離れてアルバイトを始めた。再び社会との接点を持った彼を待っていたのは、身元・素性がバレないかという不安だった。

この頃はまだ、自分の名前を検索すると、すぐヒットする状態にありました。弟は高校でイジメに遭っていた、と同級生という人物による書き込みもあった。事実ではないことも書かれていましたが、事実もありました。自分を知る人間が書き込んでいる。それは間違いないことでした。

もとより人付き合いは苦手でしたが、人と接することがさらに難しくなった。

「出身どこ」

「兄弟いるの」

何気ない会話が苦痛でした。積極的にコミュニケーションをとらない理由を説明もできず、「加藤は変わったヤツだ」と変な目で見られることになる。

僕はいくつかの職場を渡り歩きましたが、常に浮いた存在にならざるをえなかったのが実状です。

東京と埼玉を往復するかのように、優次は職と住居を転々とした。この時期、彼は私に、こう心情を明かしたことがある。

「引っ越して、住民登録を済ませると、1ヵ月も経たないうちにマスコミの人が来るんです。インターフォンが鳴り、ドアが乱暴に叩かれる。なんでわかるんだろう、と恐怖を覚えるとともに、やっぱり逃げられないんだな、とあきらめのような感情が湧きました」