現代新書50周年特別企画 村井実「講談社文化を背負って」

現代新書はこうして生まれた
村井 実

講談社文化と岩波文化

――新書というからには、そのとき先生の頭の中には当然、岩波新書の存在があったわけですよね? 当時、新書という器を発明した岩波新書は、圧倒的なブランド力と存在感を持っていたと思うのですが。

村井 もちろん、それは念頭にありました。でも、岩波新書とは別のやり方があるのではないかと考えたんです。

 古いワープロの中を探してみたら、現代新書創刊の前に山本さんに頼まれて、私が編集部で話した時のメモが出てきました。このメモには「講談社文化と岩波文化」というタイトルがついています。「岩波文化」という言葉はあるけど、「講談社文化」と言われても、ちょっとピンと来ないでしょうね。

 私は自分の専門である教育に引きつけて、明治以来の日本の文化を、近代的な学校制度の導入をきっかけにした「岩波文化と講談社文化の絡み合いの歩み」として見たら面白いのではないか、と思ったのです。

 岩波書店は岩波文庫や岩波新書や学術書において、戦争中から「大学」とぴったりくっついていました。だから、戦後にわりあいスムーズに移行できた。それから小学館は『小学一年生』などの学年誌で「小学生」を対象にしていました。これらが近代的な「学校路線」ですね。

 学校制度は明治5年に西欧にならってスタートしました。これはどういう意味をもったかというと、「近代化」にとって必須とみなされたすべてのことがらが、「政府」によって、国語、算数、理科、地理、歴史などの「教科」として編成され、当時のおよそ3400万の国民は一律に、この用意された「教科」の枠組みに合わせて生きることを余儀なくされることになったわけです。

 しかし、その一方で忘れてはいけないのは、それ以前の江戸時代までの寺子屋や私塾や町中の講釈所などで育まれてきた、もうひとつの「民衆」の文化です。学校制度の導入によって、これらの民間の教育施設は前近代的なものとして捨て去られたわけですが、その文化までが失われたわけではない。