ジャーナリスト:長谷川学
長年続いた暴力団同士の抗争が収束し、静けさを取り戻したかに見える北九州。しかし水面下では、警察が「組織壊滅」を旗印に動き、空気は張りつめていた。不安の中で、市民は恐怖に震えている。
銃撃された福岡県警の元警部(63歳)は、北九州市小倉南区の閑静な住宅地に住んでいた。
3月20日早朝、私は自宅前で元警部が再就職先に出勤するのを待った。不審者と思われないよう、ノートとボールペンを持って、取材であることをことさらアピールした。
1時間ほど待つと、短髪、長身の男性がスーツ姿で玄関から出てきた。だが、なぜか敷地外には出てこない。
「防犯カメラにあんたが映っていたよ」と元警部。私が名刺を差し出し「お体はいかがですか」と尋ねると、固い表情のまま「体はもう良いよ」と話したが、それ以外は何を聞いても「コメントできない。話すと書かれるから」と言うばかりで、答えなかった。
数分すると、私服姿の男性二人が乗った、覆面パトカーらしき黒っぽい車が自宅前に到着。元警部を乗せると直ちに発進した。かつて通勤途中に襲われた苦い経験から、いまでも覆面パトカーが送り迎えをしているらしい。
北九州市・小倉でいま、警察と指定暴力団「五代目工藤會」の最終決戦が始まろうとしている—。
そんな情報を耳にした私は、激突のXデーを探るべく、現地に取材に入った。
だがそこで見えてきたのは、長年の戦いで傷ついた人々の悲痛な表情だった。
元警部は2年前の2012年4月19日、警察退職後の勤務先である北九州市内の病院への通勤のため、自宅から直線距離で約300mの路上を歩いていた。そこを前方から来た原付きバイクに乗ったフルフェイスのヘルメット姿の人物に撃たれたのである。犯人は至近距離から無言で複数回、発砲。うち2発が左太股と腰に命中し、元警部は全治1ヵ月の重傷を負った。
「使われたのは25口径の拳銃だった。殺すつもりなら殺傷能力の高い38口径を使ったはず。犯人には殺意はなく、目的は警察に対する警告だったと見られている」(捜査関係者)
元警部は、北九州市に本部を置く工藤會の捜査を30年以上担当。退職前は北九州地区の暴力団犯罪を捜査する特別捜査班長だった。
事件後、県警は工藤會が事件に関与した疑いが強いとして、小倉北区の工藤會本部事務所を殺人未遂容疑などで家宅捜索した。
「法秩序の維持に対する重大な挑戦だ」。松原仁・国家公安委員長(当時)はそう力説し、北九州市には全国各地の警察から、約200人の機動隊員が派遣された。
だが福岡県内ではその後も、一般市民が巻き添えになる暴力団関連の事件が続いた。要因の一つは、道仁会と九州誠道会が繰り広げてきた激しい抗争だった。'13年6月11日、両団体の最高幹部が福岡県警久留米署を訪れ、抗争の終結を宣言。これを受け警察は、「あらゆる法令を駆使して、工藤會を壊滅」(安藤隆春・元警察庁長官)することに全力を挙げ始めたのだ。
現在、応援の機動隊員の数は300人に増加。さらに警視庁など全国の警察から暴力団担当の捜査員72人が別途投入されている。
その結果、小倉北署管内では、今年1~3月の期間だけでも、工藤會系組員や関係者が十数人逮捕された。容疑は覚せい剤取締法違反、自動車保険金詐欺、轢き逃げなどさまざまだ。昨年暮れには「病院敷地内に無断侵入した」容疑でも工藤會系組員が逮捕されている。