そのような中、先日、一通のメールが届いた。
『来月で三年です。これからが復興支援が必要な時期なのに、三年が経つという事で閉鎖する支援団体が増えています。理由は、助成金や義援金が入りにくくなって、被災者と共倒れになるのはまっぴら、みたいな感じです。姐さんはこれからが本当の復興支援だと実感しています。明日どうなるかわからない現実の中で、日本人の誇り「義理人情」を失いたくない!
今は、損得が優先されて、一文の得にもならないのに、人の世話を勝手にやいてしまう支援のありかたを非難される事も増えてきました。でも負けない! っていうか正義は最後に勝つ! そんな支援者がいてもいいよね? 毎日、笑顔全開で走り続けます。応援よろしくお願いします』
送ってきたのは、私が二年ほど前から交流を続けている、新潟県柏崎市在住の増田昌子さん。当初は地域住民のために立ち上げたサロンであったが、原発事故直後、福島からの避難者にも開放し、心の拠り所となっている。
困った人を見たら見過ごすことができない性分。自分たちも、二〇〇四年の新潟県中越地震、二〇〇七年の中越沖地震では被災者となって支援を受けた。だから今度は自分たちの番だと、年中無休で原発事故の被災者対応を続けている。きっぷの良さからか、集まる人たちからいつしか「姐さん」と呼ばれる。必要以上の支援を受けるのではなく、避難してきた人たち自身が自らできることを企画し、元いた地域にあったような温もりのある場を築き上げる。気負わない場所だからこそ、一筋縄ではいかないさまざまな問題を抱えた人もやってくる。
避難してきた先で、いわれのない理由からいじめにあって拒食症になった女の子。借上げアパートの狭い部屋の中で三歳になる息子が騒ぎだすと、「放射能が降るからやめろ」と苦情を言ってくる階下の住人に心を悩ます母子避難者。行政も巻き込み、一生懸命、姐さんは対応する。放射能に関する問題など、ひとりで手に負えない場合は、私も相談を受ける。現在は、避難している方々が手漉き和紙のハガキを作り、そのハガキで、震災が風化してしまわないように、メッセージを書いてもらおうと活動を続けている。
脱原発だ、経済だとか話す前に、フクシマを知れ! 一番困っている民人を見ずに原発の是非を問う。原発の是非を問う根源になったフクシマを知る必要があるのではないか。そんな気持ちで、『「放射能汚染地図」の今』を書いた。
(きむら・しんぞう 獨協医科大学准教授)