[裏方NAVI]
広瀬勇人(スキーブーツチューンナッパー)<前編>「ブーツで変わるパフォーマンス」

スポーツコミュニケーションズ

 新エース誕生の一助に

 広瀬にとって、スキーブーツのチューンナップがいかに大事かを改めて実感し、そしてやりがいを感じるのは、やはり選手のパフォーマンスが上がった時である。その第1号はアルペンスキーヤーの皆川賢太郎だった。

 皆川が世界のトップ選手たちの仲間入りを果たしたのは、2000年1月のことだ。オーストリアで行なわれたW杯第6戦、当時22歳の大学生だった皆川は、回転で60番スタートながら1回目に17位につけて初めて2回目に残ると、6位入賞という好成績を挙げた。さらに1カ月後の第9戦でも6位入賞し、マグレでないことをアピールした皆川。新エースの誕生に、低迷が続いていた日本アルペン界が沸いたことは言うまでもない。

 実はそのシーズン前、皆川は広瀬の元を訪れていた。スキーブーツのチューンナップを依頼したのだ。
「皆川選手はふくらはぎが非常に太いので、どうしてもヒザが前に入り過ぎてしまっていたんです。そのために前傾角度が深くなってしまい、腰を高く保ちにくくなっていました。そこで、きちんと腰から力を伝えられるようなポジショニングにするために、前傾角度を少し起こすように調整したんです」
 皆川本来の力を発揮することができるよう、広瀬はインソールづくりから、シェル加工、そして左右のバランスに至るまで細かく、正確な調整を行なった。皆川の躍進は、その後すぐのことだった。

「当時はブーツチューンナップを事業化して1年目だったので、皆川選手の活躍は本当に嬉しかったですね。当時はカービングスキーが出たばかりの時で、皆川選手にそれがはまったことも大きな要因だったと思います。ただ、そこに自分のチューンナップ技術が施されていたということはまぎれもない事実。僕にとっては、印象深い出来事でしたね」

 今以上にブーツチューナップへの認識が薄い時代だった。だからこそ皆川の躍進は、ブーツチューナーとしてデビューしたての広瀬にとって、ひとつの大きなステップとなったに違いない。