館淳一 第1回 「『週刊プレイボーイ』が100万部雑誌になった原動力は館淳一の文章に負うところが大だった」

島地 勝彦 プロフィール

セオ 当時はまだ原稿用紙の時代ですよね。文章が劣化した原因はパソコンのせいかもしれません。不思議なことに原稿用紙に文字を書くのとキーボードを打つのとではまったくできあがりがちがってきます。最近のフラットな文章はパソコンの弊害かもしれませんね。

シマジ それにむかしは無名だが名文家といえるような人たちがごろごろいたんだよ。そういう才能がいつの間にか消えてしまった。パソコンで書くと一応活字になって出てくるからなんとなく読めてしまうからのだろうね。

セオ 最近は週刊誌でもアンカーをつかわず、自分で書く編集者もいますからね。文章のプロであるアンカーより自分のほうがうまいとうぬぼれているわけですから情けないですね。

シマジ おれが編集者のころは、自分が取材したデータ原稿をもとにして、たとえば館先生がどのように仕上げてくるのか、それを待つのが愉しみの一つだったんだけどね。

 でもおれは書くのが遅かったね。ほかのアンカーマンは深夜の12時までにはすべて書き終えて帰って行くんだけど、おれの場合、そこから考えて書き始めるものだから、いつも明け方の6時ごろまでかかっていた。

シマジ 傑作を書いてくれるのなら明け方まで待ってもいい。面白い原稿というのは、ほかのなにものにも比べられない高揚感をもたらしてくれるものだよ。

その金曜日の朝の感動が、火曜日に「週刊プレイボーイ」を買う若い読者にもそのまま伝わっていたんだと思うんだ。あの当時話題になった特集はだいたい館淳一が無署名で書いてくれていたんだよ。

セオ それは凄いですね。贅沢過ぎます。

シマジ もう一つ、ざら紙の活版のページになぜか「写真はすべて立木義浩撮影」とタッチャンの名前が入っているんだよ。

立木 おれを奴隷のようにこき使っておいて「なぜか」はないだろう。シマジは、五月みどりの童貞混浴も三浦和義のアナーキー人生相談も全部おれに撮らせていたんだよ。しかもその纏めはこちらの館先生だったんだ。

セオ 豪華ですね。贅沢過ぎます。

立木 原稿料も豪華ならいいけどさ、これが安いんだわ。

 それはいえますね。