[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
寺川綾(元競泳選手)<後編>「五輪に“魔物”はいなかった」

スポーツコミュニケーションズ

空白の数年間

二宮: 19歳で五輪に初出場しましたが、それ以降は北京五輪も含めて5年近く大きな舞台に出ることができませんでしたよね。普通であれば、そのまま引退してもおかしくありません。ところが、09年からまた世界の第一線で活躍し始め、最終的にはロンドン五輪で銅メダルを獲得しました。これほど絵に描いたようなV字復活をする選手はなかなかいません。それだけ寺川さんには潜在能力があったということなんでしょうね。
寺川: よく言えばそうなのですが……。もっと早く力を発揮できていれば、北京五輪も行けたのかなと。もちろん、代表になれなかった時期も自分なりに一生懸命やっていましたので、当時はそれなりに充実した選手生活を送っていたつもりでした。ただ今思うと、この5年間は屈辱的ですよね。

二宮: しかし、こうした苦難を乗り越えてきた経験は、後進を指導していくことに役立つのでは?
寺川: 年齢的にも一番伸びしろがあった時期に結果を残せず、半ば飛ばしてしまったかたちとなったのはもったいなかった。ただ、その時期があったからこそ、ここまで続けられたのかなとも思うんです。今後の人生にも生かしていきたいですね。

二宮: 回り道が人生の肥やしになったと?
寺川: はい。いいことも悪いことも、長く続けてきたからこそ経験できた。私としては“終わりよければすべて良し”ですね。今、振り返ってみると、このような競泳人生を送れて良かったなと思っています。

二宮: 寺川さんの競泳人生は、まさに山あり谷ありだったと思います。なかでも、一番の勝負どころはいつでしたか?
寺川: もちろん、出場を逃した北京五輪もそうですが、一番は11年の上海で開催された世界選手権ですね。50メートルで初めてメダルを獲ったのですが、メダルを狙っていた100メートルでは5位だったんです。それがものすごく悔しかった。 「このままでは五輪で表彰台に上れない」と思ったんです。

二宮: それが翌年のロンドンでのメダルにつながったと?
寺川: そうですね。上海で「このままじゃいけない、もっと上を目指したい」と思えたことが、いい刺激になりました。