昔「満州」、いま「原発」「日本の生命線」なんてウソばかり 日本人よ、歴史に学ぼう 保阪正康×磯田道史

週刊現代 プロフィール

官僚はつじつまあわせをする

保阪 太平洋戦争で日本の存続を危うくしたやり方と同じで、皆で一丸となって一本道を進んでいく。高度成長期の「護送船団方式」だってそうでしたからね。国策が原発推進となれば、それに必要な人材、知識をたくわえて邁進し、そこに疑問を呈する人を抑圧してしまうんですよ。しかも「一点集中主義」が進んでいくと、その体制内で、官僚たちがつじつまをあわせ始める。いってみれば「願望の事実化」が起こるんです。

太平洋戦争の開戦直前、首相の東条英機が「この戦争はいつ終わるのか、という文書を起案せよ」と軍部の官僚(軍務局)に命じました。そこで陸海軍の高級課員、石井秋穂と藤井茂が『戦争終末促進に関する腹案』という文書を起案するんですが、その内容が「ドイツがイギリスを抑えるので、イギリス国民が厭戦思想を持つ。日本が徹底的に中国を叩き、アメリカがいくら援助しても無理だと考え、米国内にも厭戦思想が広がる」とか、全部願望なんです。

戦後、私が、この文書を起案した石井氏に本心を尋ねたところ、「我々も戦争が終わるとはどういう状態かわからなかったから、こう書くしかなかった」と言うんです。「まさかこれが最終的な国策になるとは思わなかった」と。

願望と現実を区別せよ

磯田 また彼らが変なところだけ優秀だから、緻密な幻想計画を拵えてしまう。

同じことが、豊臣秀吉の朝鮮出兵でも行われました。今、大河ドラマで放送されている『軍師官兵衛』の時代ですから、ドラマに描かれるかもしれません。文禄・慶長の役は、明国(中国)を征服する秀吉の願望で始まりました。秀吉の幕僚筆頭が石田三成で、彼が作戦計画を立てました。そのときに、毛利家の知将として名高い小早川隆景が諫めた話が残っています。

三成はソウルからもっと先まで、朝鮮半島に日本の大軍をどう配置し、兵馬をどう進めるかの計画案を作り「どうです、この完璧な計画は」と小早川隆景に見せました。

保阪 兵站計画ですね。

磯田 そうです。ところが、これは昭和の軍人や国内の原発設置を推進した人たちにも当てはまると思いますが、そこには負ける想定がなく、負け戦になったときの撤退計画がなかった。実際に戦う人間にとっては、これは恐ろしいことです。それに驚いた隆景は〈負け戦のときの思案ありたし〉と申し出て、半ば無理矢理に三成に計画を作り直させたといいます。隆景や黒田官兵衛のような歴戦の智将は、本心では「この戦は負けるな」とだいたいわかっていたんでしょう。