昔「満州」、いま「原発」「日本の生命線」なんてウソばかり 日本人よ、歴史に学ぼう 保阪正康×磯田道史

週刊現代 プロフィール

では、なぜそんなに満州にこだわったかといえば、当時の日本は対外当初予算の7~8割を満州につぎ込んでいたからです。

磯田 ああ、既得権益ができあがっていたんですね。

保阪 そう。それは当時「特殊権益」と言われました。しかも、当時の満州は、農業生産の向上に絶対必要な、大豆や豆かす(農業肥料)の産地でもあった。日本はなんだかんだと満州に依存していたんですね。

磯田 日本人は、昔から「我が国は島国で資源がない」ということに常に不安を抱く民族です。同時に、必ず公の権力が「だから、その資源は私たちが確保してあげる」と前面に出てくる。で、民は公権力を信じる。

保阪 あの頃は、人口減少の今とは逆で人口が7000万人に迫り、日本の為政者は皆、早晩食糧が足りなくなると恐怖していた。そこで帝国主義世界の中で「満州への進出は歴史的必然だ」と思い込むんです。

磯田 「混みあいますから満州へ」が宣伝文句でした。

日本の為政者が国として最初に大失敗した歴史的事例は、「白村江の戦い」(663年)でしょう。朝鮮半島にあった同盟国百済が滅亡すると、このままでは国がもたないと、大量の若者を船に乗せて送り出し大敗。このときは鉄材が輸入できなくなったら、日本(倭国)の農耕社会はおしまいだと思い込んだ。

保阪 資源枯渇の恐怖ですね。

磯田 しかし百済を失った日本はかえって技術を獲得し、砂鉄の大生産国になれた。島国ですから、資源確保は重要ですが、資源の入手手段を一つだと思い込んで入れ込み、こだわりすぎるのが問題なんです。

保阪 それは高度経済成長の時の石油交渉にも言えますね。昭和48年に第四次中東戦争が始まって、産油国から「親イスラエル国には石油を輸出しない」と言われると、慌てて副総理だった三木武夫が「決して親イスラエルじゃありません」とご説明に上がって石油を分けてもらった。そのときだって、石油交渉の相手として、それまで実績のあったアラブ諸国しか想定していない。実質的に「一点依存」でしたからね。

磯田 だから、オイルショックがおきるわけですよね。

私は原発がいいかどうかよりは、不安にかられて「これが日本の生命線」とばかりにそれにこだわる心性が大変に問題だと言いたい。日本は狭い島国だから他国との協調と国内の生産力に自信がない。過去に日本が失敗した事例の多くは、病的なほど資源エネルギーの入手に執着し、枯渇の不安に駆られて下手な策に打って出て負けたものです。