来年度以降、原子力発電所の再稼働が相次ぐ可能性が一段と高まってきた。
昨年末、東北電力が女川原発(2号機)の新規制基準の適合審査を申請したのに続き、先週は中部電力が浜岡原発(4号機)の申請に踏み切ったからだ。これにより、昨年7月以降、原子力規制委員会に対して全国の8電力会社が10カ所の原発(合計で17基)の審査を申請したことになる。合計は国内に現存する原発(48基)の3分の1を上回る数だ。
筆者は、必要な安全対策が整った原発ならば再稼働に賛成だ。しかし、この適合審査だけで安全が確認できたことにして、再稼働を強行しようとする安倍晋三政権のシナリオは茶番である。少なくとも4つの忘れ物が残っていることを指摘しておきたい。
本コラムでこれまで何度も指摘してきたように、原発ならば全部安全だとか、全部危険だといった形で、原発の安全性を一律に議論するのは乱暴だ。
東日本大震災の例をみても、人類史上最悪の原発事故を引き起こした東京電力の福島第一原発もあれば、より震源に近かったにもかかわらず、速やかに冷温停止に漕ぎ着けて安全を確保した女川原発のような原発もあるからだ。
この女川と福島第一の比較を見ても、「安全が確認できた原発は運転を再開する」(安倍首相)と言い続け、原子力規制委員会の新規制基準の適合性審査にパスすれば、再稼働にお墨付きを与えようとしている安倍政権の原発政策の欠陥は明らかだ。
というのは、新規制基準は、耐震強度など技術的な強度の強化に軸足があり、原発を安全に維持、管理、運転していく資質がその電力会社にあるかどうかという視点がすっぽりと抜け落ちているからだ。
福島第一の1、2号機と女川の1号機はいずれも米ゼネラル・エレクトリックのマークワンと呼ばれる型式の原発だった。
が、早くから津波のリスクを予見し、14.8mの高台に原子炉を据えたうえ、各地の大地震のたびに繰り返し対策を強化して重大な事故を未然に防いだ東北電力と、廉価なパッケージ契約を結んで、もともとは40mあった立地を6mに削って原発を建設したばかりか、東北電力の強化の努力を目の当たりにしながら対策を怠ってきた東京電力の取り組み姿勢の違いが、2つの原発の明暗を分けたことは明らかだろう。
一向にそうしたヒューマン・ファクターに目を向けようとしない規制委の審査も、安倍政権のスタンスも、とても信頼を寄せることはできない。これが第一の問題である。
次に問題なのは、規制委の審査で否を突きつけられた途端、その電力会社は経営破たんの危機に直面し、問題の原発の廃炉を遂行できない懸念が強いにもかかわらず、安倍政権がそうした状況を今なお放置していることだ。
この問題の放置こそ、安倍政権の「原発依存度の段階的な縮小」は口先だけで、本心は、すべての原発をなし崩し的に再稼働することにあるのではないかと疑われる要因だ。
安全を確認できなかった原発をどうするか。つまり、廃炉への道筋をきちんと示さないのは、1基も廃炉にする気がないことの証左とみなさざるを得ないのである。