奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ

20世紀最大の発明はこうして生まれた
佐藤 健太郎 プロフィール

しかし病原菌の側も、手をこまねいているばかりではなかった。抗生物質を投入しても死なない細菌、いわゆる「耐性菌」が登場してきたのだ。その広がりは、驚くほど急だ。

たとえば第二次世界大戦後、赤痢が各国で流行し、サルファ剤での治療が行われた。しかし1950年ごろにはサルファ剤の効かない赤痢菌が出現、さらに1955年には、当時知られた4種の抗生物質がいずれも効かない、四剤耐性赤痢菌が登場している。

人類の側も次々に新薬を送り込んではいるが、そのたび数年で耐性菌が登場する。言ってみれば我々は、次々に抗生物質を投入することで、弱い菌を滅ぼし、強い菌を一層鍛え上げている状況なのだ。

特に、抗生物質を大量に用いる病院内は、鍛えられた強力な細菌がはびこりやすい。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)をはじめとした多剤耐性菌は、しばしば院内感染を引き起こし、大きな問題となっている。

 

長らく耐性菌が出現せず、「鉄のゴールキーパー」となってきた抗生物質であるバンコマイシンにも、すでに耐性菌が現れている。現在は、もはや治しようのない細菌感染症が出現しても、全くおかしくない状況にある。

恐るべきことに、多くの抗生物質に耐性を持たせた病原菌を、遺伝子操作によって作ることも、理屈上は可能だ。このためイギリスなどでは、耐性菌問題は「テロリズム並みの国家に対する危機」とされ、対策が講じられている。

抗生物質の濫用が、耐性菌出現の大きな原因となっているのは明らかだ。たとえばアメリカでは、抗生物質の80%が家畜などの動物に使用されている。病気の予防、成長促進のためとされているが、その効果が必ずしも明らかではない。こうした、「安い薬だから一応飲ませておけ」といった無批判な使い方を続けていたのでは、やがて我々は自分の首を絞めることとなるだろう。

人類が長らく思い描き、20世紀後半になってようやく手の届きかけた「病のない世界」の夢は、あるいは再び幻として消えていくかもしれない。その瀬戸際にかなり近いところに立たされていることを、我々はもっと強く認識すべきであろう。