奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ

20世紀最大の発明はこうして生まれた
佐藤 健太郎 プロフィール

「仁」はペニシリンを作れたか

ペニシリンがあの時代にあったら、歴史はどう変わっていただろうか――とは、その威力を知る誰もが興味を抱くところだ。それを実際に描いたのが、村上もとか氏の漫画『JIN ー仁ー』だ。現代の医師が幕末にタイムスリップし、その知識を活かして人々を救うという大胆な設定の作品であり、テレビドラマ化もされて大ヒットした。 

この作品では、主人公が自ら製造したペニシリンで江戸の町民を救うシーンが、前半の大きな山場となっている。発酵・抽出・濾過などの操作に慣れた醤油製造職人たちの手を借りつつ、アオカビからペニシリンを抽出・精製するシーンは、医薬研究経験者の目から見ても、非常にリアリティのあるものに仕上がっていた。ストーリーはもちろん考証の面でも、大変優れた作品であったと思う。

その上で、あえて野暮は承知の上で、実際に幕末の日本でペニシリンが作れたかどうかを考えてみると、やはり厳しかっただろうと言わざるを得ない。たとえばペニシリンの量産には、「コーンスティープリカー」(CSL)の存在が大きくものをいった。

これは、トウモロコシからコーンスターチを製造する際に副産物として得られる粘液で、カビの生育に必要なビタミン・アミノ酸・ミネラル、そしてペニシリンの「部品」であるフェニル酢酸などを豊富に含む。このCSLを培地に加えると、ペニシリンの収量が12倍にも向上するのだ。

トウモロコシが本格的に日本で栽培されるようになったのは明治以後のことで、たとえ主人公がCSLを知っていたとしても、入手は難しかっただろう。

その他、抽出に必要な溶媒なども、当時では入手できなかったものが多い。残念ながら幕末の条件では、もしかすれば少量の不純なペニシリンくらいなら得られたかもしれないが、多くの命を救うような量を作るのは、やはり無理であったろう。

実は太平洋戦争中の日本も、ペニシリン製造研究を行っている。チャーチルの命を救った新薬という情報を聞き(前述の通り、これは誤報だった)、軍部が当時最高の頭脳と資金を投入して、ペニシリン製造に当たらせたのだ。1944年2月に計画が開始され、8ヵ月後にはペニシリン精製に成功したというから、非常な速度といってよいだろう。

しかしそれでも量産化は成らず、戦場の兵士を救うには至らなかった。やはり新技術の実用化には、情報と頭脳、資金だけでは足りず、それを支える周辺技術が全て揃うことが必要なのだ。

 

抗生物質の現在

戦後、ペニシリンの成功に刺激されて、多くの抗生物質が登場した。結核に有効なストレプトマイシン、多くの細菌に有効なマクロライド系抗生物質などが、次々に医療の現場に投入されていった。

これらにより、数百万年にわたって人類を苦しめてきた細菌感染症の多くが、このわずか数十年のうちに駆逐されていった。「1マイル4分の壁」とまさに同じことが、医療の世界に起こったのだ。