奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ

20世紀最大の発明はこうして生まれた
佐藤 健太郎 プロフィール

1944年6月には、「史上最大の作戦」ともいわれたノルマンディー上陸作戦が行われ、ペニシリンはその真価を遺憾なく発揮した。運ばれてくる戦傷者は、ペニシリンのおかげでほとんどガス壊疽や敗血症を起こすことなく、無事回復した。

それまでの戦場の常識は一変し、フレミングは英雄として祭り上げられていくこととなる。1945年には、フレミング、フローリー、チェインの3名が、共同でノーベル生理学・医学賞を受賞する。量産研究開始からわずか数年のうちに、ペニシリンは世界の歴史を大きく変えたのだ。

 

家康とペニシリン

ペニシリンは、世界に大きな影響を及ぼした薬であるだけに、様々なエピソードがある。いくつかを拾い上げてご紹介しよう。

まず、ペニシリンに命を救われた世界初の人物は、徳川家康ではなかったかという説がある。家康は、小牧・長久手の合戦の最中、おそらくは傷口から黄色ブドウ球菌のような菌が入り、背中に大きな腫れ物ができてしまった。

日に日に悪化していく容態を見て、家臣の一人が笠森稲荷に向かい、「腫れ物に効く」といわれる土団子を持ち帰った。アオカビの生えたその団子を腫れ物に塗りつけたところ、おびただしい膿が吹き出て腫れ物は治癒したという。これは、アオカビに含まれたペニシリンのおかげであった、というものだ。

これは理屈として全くありえない話ではないが、さすがに土団子に多少生えた程度のアオカビが、家康の体内に巣食った細菌を全滅させるほどのペニシリンを作っていたとは考えにくい。家康のペニシリン伝説は、「話としては面白い」という程度にとどまるだろう。

 

チャーチルは2度救われた?

ペニシリンをめぐる「神話」のひとつに、フレミングはイギリス首相ウィンストン・チャーチルの命を、2度救ったというものがある。チャーチルは少年時代、沼にはまって溺れかけたところを、偶然通りかかったフレミング青年に発見され、救出された。

これに恩義を感じたチャーチルの父は、フレミングに学費を援助し、おかげで彼は医師になれた。そしてチャーチルは1943年に肺炎にかかるが、フレミングが発見したペニシリンによって一命を取り留めたというものだ。

しかし実際には、チャーチルはフレミングの7歳年上であり、フレミング青年がチャーチル少年を助けることも、学費の援助を受けることもありえない。また前回書いたように、チャーチルの肺炎を治療したのは、実際にはペニシリンではなくサルファ剤であった。

この話は、フレミングがアメリカで賞を受けた際、ヴィンソン財務長官がスピーチの中で述べたのが最初であったらしい。晴れがましい席での政府高官の言葉であるだけに、フレミングもまさか「でたらめだ」と否定するわけにもいかなかったのだろう。かくしてこのできすぎた逸話は世界に広まり、現在もネット上などで「感動の実話」として見かけることがある。