奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ

20世紀最大の発明はこうして生まれた
佐藤 健太郎 プロフィール

ところが1954年、イギリスのロジャー・バニスターが、様々な科学的トレーニングを積み重ねた末、3分59秒4という驚異的な世界記録を打ち立てた。絶対に乗り越えられないと思われていた4分の壁を破る快挙に世界中が沸いたが、驚くべきことはここから起きた。バニスターの記録から1年の間に、23人ものランナーが4分の壁を打ち破ったのだ。

ランナーたちを縛っていたのは、「4分を切るのは不可能だ」という思い込みであり、それが取り払われた途端に、前途は一気に開けたのだ。現在の1マイル走の世界記録は、3分43秒13まで伸びている。「1マイル4分」というタイムは、人体の限界でも何でもなかったのだ。

感染症治療の分野でバニスターの役割を演じたのは、1930年代中頃のサルファ剤の登場であった(それまでにもエールリッヒと秦の開発したサルバルサンがあったが、副作用も強く、効く病気も当時は梅毒に限られていた)。

化学物質で病気の治療ができるかどうかという、それまで誰も答えられなかった問題に、間違いなく「解」が存在することが示されたのだ。ならば、よりよい「解」を見つければよい。

1938年、フレミングのペニシリンの論文に目をつけたのは、オックスフォード大学のハワード・フローリーと、エルンスト・チェインらであった。研究を進めるにつれ、ペニシリンの可能性は彼らを興奮させた。翌1939年には、他のプロジェクトを取りやめ、決して豊かではなかった研究資金をペニシリン一本に注ぎ込むことを決意する。

彼らは有機溶媒と酸またはアルカリ水溶液による抽出操作を徐々に改良し、不安定なペニシリン分子を損なわずに濃縮する技術を確立していった。1940年には、彼らは100ミリグラムほどの貴重なペニシリン粉末を手にする。

 

フローリーたちはこれをほぼ純粋なものと思っていたが、後でわかったところでは、この粉末の純度は約0.1%、すなわち本物のペニシリンは0.1ミリグラムほどしか含まれていなかった。いかにペニシリンの精製が難しかったかわかる。

1940年には動物実験も成功、翌年にはヒトでの臨床試験が始まり、ブドウ球菌や連鎖球菌に感染した、人々の命を救い出した。そして1941年には太平洋戦争が勃発、世界は再び巨大な戦火に巻き込まれてゆく。傷ついた兵士の感染を防ぐための医薬品開発は、国家の最重要課題のひとつとなった。

1942年には、米英においてペニシリン研究は「国家機密」に指定される。この後投入された研究資金は総計2400万ドルといわれ、これは戦時中の科学研究として、原爆開発を行った「マンハッタン計画」に次ぐものだ。こうして量産が可能になると、一般にもペニシリンの使用が増え始め、「奇跡の薬」の名声は日増しに高まっていった。