奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ

20世紀最大の発明はこうして生まれた
佐藤 健太郎 プロフィール

1922年にフレミングは、この都合の良い物質を、意外なところから見つけ出す。それは、彼自身の鼻水であった。濁って見えるほどに細菌が繁殖した培養液に、自分の薄めた鼻水を一滴垂らすと、細菌が死滅して数分のうちに透明になることを、彼は発見した。

どうやって彼は、こんな妙なことを発見したのだろうか? 彼がたまたまくしゃみをしたところ、細菌を培養していたシャーレに鼻水が飛んだ。翌日調べてみると、鼻水の周囲だけ細菌が増殖しなくなっていた――と、「神話」は伝わっている。しかしこの発見が本当にこうした劇的なものであったのか確証はなく、後世の伝記作家の創作かもしれない。

ともかくフレミングは、この殺菌成分が涙や唾液、血清などにも含まれることを見つけ出し、その成分を酵素であろうと推定した。彼はこの殺菌成分を、「分解酵素」の意味を込めて、「リゾチーム」と名づける。

ただしリゾチームは、彼の期待に反して病気の治療薬となりうるようなものではなかった。リゾチームは、いくつかの大して害のない細菌を殺すだけで、病原性の高いチフス菌、連鎖球菌、肺炎球菌などに対しては無力であった。

考えてみればこれは当然で、人体がそのように強力な抗菌剤を備えているのであれば、誰も感染症にかかる者はいないはずだ。フレミングは学会でもリゾチームの発見を報告するが、鼻水が無害な細菌を殺すというだけの話に、関心を寄せる者はほとんどなかった。

しかしリゾチームの発見は、この後で大きな意味を持つことになる。それは、抗菌作用を持つ物質の存在を彼が知ったこと、そうした物質があると細菌はどのような状態になるかを、フレミングが自分の目で「見た」ことだった。

もともとフレミングは「私は細菌で遊んでいるのだ」と述べたほど、細菌の培養などの実験操作を愛し、その観察に喜びを見出した人物であった。その彼の脳裏に、「抗菌作用」という現象が、しっかりと焼き付けられたのだ。

 

奇跡の始まり

リゾチーム発見から6年後の1928年9月のある朝、もう一度フレミングに幸運が訪れる。彼は、ブドウ球菌の一変種を観察するため、シャーレでこの菌の培養を行っていた。

栄養分を含んだ液を寒天で固めた「寒天培地」の表面に、病巣から採った液を塗りつけておくと、細菌は2〜3時間のうちに増殖して、目に見える大きさの丸い塊(コロニー)を形成する。ひとつのコロニーは1個の細菌から増えたものであり、これを採取すれば特定の菌の純粋培養が可能になる。