特別寄稿 『ブラック精神科医に気をつけろ!』
第1回「うつの痛みと過剰投薬の実態」

読売新聞東京本社 医療部記者 佐藤光展
佐藤 光展 プロフィール

 タクヤさんは病棟スタッフに連れられ、面会室に歩いてやって来た。年齢よりも幼く見えるかわいらしい顔立ちで、やさしい目をしている。身長はすらりと高く、健康に暮らせば女性にもてるタイプだろう。食事を摂ろうとしないため、左の鼻の穴に差し込まれた栄養補給用の管が痛々しい。長期服薬の影響で、肩や首は前傾気味になっていた。

「はじめまして」。あいさつをすると、タクヤさんは私と目を合わせ、人懐こい笑顔を浮かべた。だが言葉は返ってこない。同席した母親と私が過去の治療について話を始めると、彼は前傾した顔をさらにうつむかせ、悲しい顔をした。しかし、彼が慕う姉のことに話が及ぶと、再び顔をあげて目を輝かせた。周囲の話はしっかり理解できているのだ。それでも言葉が出ない。

10分ほどの面会を終え、部屋を出る時、私は握手を求めた。彼は私の右手を両手で柔らかく包んだ。

「元気になって早く退院しようね」。彼は小さくうなずき、人懐こく笑った。

タクヤさんは幼少期、体が弱く、よく熱を出していた。「上の2人の子と比べるとあまり笑わず、いつも不安そうな顔をしていた」と母親は振り返る。

言葉の発育が遅れ気味で、カ行がうまく言えず、「ばか」が「ばた」になったり、「ぼく」が「ぼち」になったりした。一人遊びが多く、同世代の子どもの輪に加わろうとはしなかった。

サッカークラブの厳しい指導で運命が暗転

5歳の時、自分から「サッカーやりたい」と言い出し、チームに入った。「急に生き生きとし始めて、練習から帰って来ると顔が輝いていた。試合でも楽しそうに動き回っていました。やっと子どもらしくなったと感じて、私もうれしかった」。ところが8歳の時、コーチが替わって勝つことが優先されるようになると、状況は一変した。

タクヤさんはコーチに期待され、厳しい指導を受けるようになった。ある試合中、コーチはタクヤさんに次々と指示を飛ばした。タクヤさんは急に動けなくなり、しばらくその場に立ちすくんだ。

「もうやめたい」。たびたび漏らすようになったが、サッカーを通して成長することを期待した父親が引き留めた。だが、試合前になると体調不良を訴えることが増え、練習でも生き生きとした表情が消えた。10歳でサッカーをやめた。

「クラスの人たちがこそこそ悪口を言っている気がする」。そう言い始めたのは14歳の時だった。親しい友人が家に来ても居留守をつかった。いじめられていたわけではなく、「僕、頭がおかしくなっちゃったのかな」と自分でも不思議がった。少しすると被害妄想的な言動は消えたが、今度は宿題を一切やらなくなった。