『津波と原発』著:佐野眞一 解説:菅原文太
胸に刻むのだ、永遠に――東日本大震災ルポの決定版!

本書『津波と原発』の根底にあるのは、国の中枢で、あるいは中枢の周辺に蝟集して人の生き死に支配の力を振るう者たち(それはマスメディアも含めてだが)、そんな彼らへの佐野さんの疑いと怒りだ、と思う。佐野さんは人の生き死に力を振るう者たちへの容赦ない切り口でペンを取ってきたが、橋下徹・大阪市長について書いたことで、いっときペンを取り上げられそうになったことがあった。書く側から書かれる側になったということだが、それはきっと佐野さんの作家魂、というより、ド根性をさらに強いものにしただろう。

Photo by Kiyoshi Mori

この本の冒頭部分に、まさかの四選出馬を表明した石原慎太郎が会見で「身命を賭して、最後のご奉公」と述べた言葉を、「幕末の志士気取り」と白けた気持ちで聞き、こんな男が首都の防災の責任者になるとは背筋が寒くなる、と書いている。石原はそんな威勢の良い言葉から間もなくして、雲隠れして任期途中で降りてしまったのだから悪口を言うにも値しないはた迷惑な政治家だったわけだが、こんなところも佐野節が変わらずに健在で安堵する。

大地震、気候変動、集団的自衛権の見直し、憲法改正など、一方で大自然から脅かされ、他方で政権、国からも怖い思いをさせられている俺たち国民市民は、佐野さんのようなペンの持ち手がいなくなったら、何を寄る辺に暮らしていけばいいのか、と思っていた時だから、よくぞ言ってくれたと痛快だった。

痛快と言えば、俺も東映といういい会社で思う存分にアウトローを演じてきたが、今はあのような映画を撮ることが御法度の時代になってしまった。それも一因で俳優も辞めてしまったようなものだが、せめてペンでショットガンを放つ佐野眞一さんの熱い応援団の一人として、このような解説を書くことになった。

宿命というべきだろうか、佐野さんは『東電OL殺人事件』に続き、本書でまたもや東京電力と遭遇することになった。東京電力という一株式会社が天下無敵の大権力になりえたのは、電気という現代社会に不可欠のエネルギー供給で市民をがんじがらめにしてきたからであり、かつアメリカや霞が関官僚たちの利益と一体化していたからだということが、この原発大事故によってあからさまになった。しかも、その官僚たちや東大、東工大出の“優秀”と言われる東電社員たちの知識や運営能力が、大したものではないどころかロクなものじゃなかったことが、じつに悲劇だった。

彼らには、佐野さんが『津波と原発』を書く旅で出会ったおかまバーの名物ママや東北の漁民たちほどの気骨やクソ度胸のかけらもなかった。しかし、裏を返せば、社会的地位が下がれば下がるほど(言い方は乱暴かもしれないが)、この国には人材がまだ残っているということが大震災後に見えてきただけでも、救いかもしれない。