『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』 群青色の青春

一般的にはミッドウェー海戦で主力空母と多くのベテラン搭乗員を失った日本は以後、坂を転げるように転落していくことになる、ということになっている。しかし、実際にはミッドウェー海戦で戦死したパイロットの数はそれほど多くないようだ。日本側の搭乗員戦死者は偵察機のパイロットを含めて計121名ほど。なんと勝利した米軍の搭乗員戦死者は200名以上にものぼる。

実はこのミッドウェー海戦の陰で、この海戦以上に零戦にとって大きな痛手になる事件が起きていた。それは、アリューシャン列島のアクタン島に不時着した零戦がアメリカにより鹵獲、慎重な修理の末、飛べるようになるまで復元された、通称「アクタン・ゼロ」の存在だ。零戦の神秘のベールは剥がされた。

実は太平洋戦争における空戦の天王山と言える戦いはガダルカナルの攻防戦ではないか。本書も実に多くの紙数をガダルカナルの攻防に割いている。この攻防戦は航空戦力の消耗戦の様相をていしている。開戦以来、戦闘機の補給、搭乗員の補充に苦慮していた日本軍のもっとも恐れていた事態だ。圧倒的な物量と零戦への効果的な戦術を編み出した米軍の攻撃に、若き搭乗員たちの体力、気力も次第に消耗していく。

彼らは死に対してどこか従容とした姿勢を見せている。とにかく、目の前の敵を一機でも落とす。そのことに全神経を集中している姿が見て取れる。また被弾し、基地まで帰れなくなった多くの搭乗員が敵機や敵の地上建設物に突っ込み自爆している。脱出用の落下傘を装備しない搭乗員も多かったという。

ガダルカナルの攻防で次第に劣勢に陥った日本が、起死回生を計り大規模な反攻に及んだルンガ沖航空戦に艦爆護衛の任を受け参加し、後に戦死した大野竹好中尉の遺稿には不覚にも涙してしまった。

(前略)艦爆危うしと見るや、救うに術なく、身を以て敵に激突して散った戦闘機、火を吐きつつも艦爆に寄り添って風防硝子を開き、訣別の手を振りつつ身を翻して自爆を遂げた戦闘機、あるいは寄り添う戦闘機に感謝の手を振りつつ、痛手に帰る望みなきを知らせて、笑いながら海中に突っ込んでいった艦爆の操縦者。泣きながら、皆、泣きながら戦っていた。

九九式艦上爆撃機(Wikipediaより)

ルンガ沖航空戦の損失により以後、日本軍は航空戦で防戦一方に立たされることになる。

悲壮な空戦の記述を読み、目頭を熱くしながらも、ここまでの物語にはどこか、一片の明るさがある。明るさといって語弊があるのなら、カラッと乾いた響きがあるとでも言えばよいか。思えば、彼ら搭乗員は徴兵により戦地へと送られた、下級の歩兵などとは違い、自らの意志で戦闘機乗りに志願した男たちだ。戦士として生きる道を自ら選んだ彼らの心の中には、闘争心、目的意識の強さ、負けず嫌い、そしてなによりも気高い誇りが存在していたように思える。