[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
山﨑武司(元プロ野球選手)<後編>「本当は人情派の野村監督」

スポーツコミュニケーションズ

意外にもフィットした野村野球

二宮: それから11年後、今度は東北楽天時代、39歳で2度目のホームラン王に輝きました。この時は、技術で獲った?
山﨑: はい、ちゃんと考えて打っていました(笑)。

二宮: 野村克也さんの“考える野球”を実践したからこそのタイトルだったと?
山﨑: はい、その通りです。

二宮: でも、正直言うと、野村さんが楽天の監督に就任した時は、「山﨑さんとは合わないだろうな」と思っていたんです。
山﨑: みんなに言われましたよ。「オマエ、終わったな」って(笑)。僕自身も「もう、あかんわ」と思いましたからね。僕が中日時代、野村さんはヤクルトの監督で、耳にするのは「ミーティングが長い」だの「ぼやきがうるさい」だのって、マイナスのことばかりでしたから、いいイメージを持っていなかったんです。ところが、その野村さんが今では足を向けて寝られない恩人ですからね。人生って、本当にわからないものです(笑)。

二宮: 実際の野村さんはいかがでしたか?
山﨑: 人情にあふれた人でしたよ。僕にとっては、あったかいオヤジですよ。

二宮: 今でも野村さんに会うと、必ずと言っていいほど、山﨑さんのことをよく褒めるんですよ。
山﨑: 野村さんは一見、怖そうに見えますけど、自分から寄って行けば、かわいがってくれるんです。ところが、少しでも逃げようとすると、もうダメですね。とにかく、よく選手のことは見ていますから。

二宮: 野村さんに叱られたことはあったんですか?
山﨑: ありましたよ。今でもよく覚えているのは、盛岡で試合があった時ですね。僕はDH(指名打者)だったので、いつもベンチの後ろでスイングして待機しているんですけど、その試合は敗戦濃厚で、最終回に1死を取られて、「あ、もうこれは打順はまわってこないだろうな」という感じだったんです。夏で暑くて、ロッカーにもエアコンがなかったので、上だけユニフォームを脱いで、アンダーシャツでいた。そしたら、ちょうどトイレに行く野村さんに、その姿を見られてしまったんです。いや、もう怒鳴られましたよ。「何や、オマエはゲームを捨ててるんか!」と。

二宮: それほど、野村さんは勝負に対する執念がすごかったんですね。
山﨑: はい。それで翌日は、ホームのKスタ宮城での試合があって、もう野村さんと会うのが気まずいわけです。「どうしたもんかなぁ」と思いながら、スイングルームの裏でバットを磨いていたら、そこにちょうど野村さんが歩いてきたんです。ふと顔を上げたら、その野村さんと目が合ってしまった。「やっぱり謝らな、あかんな」と思って、立ちあがって「監督、昨日は本当にすみませんでした。ベテランの僕がああいうことをやってしまって……。今後はないように気を付けます」と謝ったんです。そしたら「おう、わかってくれたらえぇんや」って言ってくれました。

二宮: すぐに謝って正解でしたね。
山﨑: 偶然のタイミングだったんですけどね。その後ベンチで、記者に「昨日、山崎とこんなことがあってなぁ。でも今、山崎は謝ってくれたわ。アイツはオレから逃げんかった。たいしたもんや」って言ってましたよ(笑)。