佐藤健太郎「歴史を変えた医薬品」
第9回 サルファ剤と二つの世界大戦

佐藤 健太郎 プロフィール


 サルファ剤の活躍の場は、不幸にして第二次世界大戦の戦場となった。ドイツ軍では、兵士が傷を負ったら粉末のサルファ剤をふりかけることが行われ、第一次世界大戦で蔓延したガス壊疽は激減した。自らの手でガス壊疽を駆逐すると誓ったドーマクの願いは、見事にかなったことになる。

 太平洋戦争の激戦地となったニューギニア島において、日本軍は累計十数万にも及ぶ犠牲者を出しているが、赤痢やマラリアなどによる死者がその大きな割合を占めた。一方サルファ剤を多量に携行していた連合軍は、1万人が赤痢に罹患したが、わずか2人の死者を出したのみにとどまっている。このため日本軍の看守は、米軍の捕虜からなんとかサルファ剤を手に入れようと、あの手この手を使ったという。

 第一次世界大戦において、米国では肺炎などの呼吸器疾患で、5万人もの犠牲者を出した。しかし第二次大戦においては、出撃した兵士は倍になったにもかかわらず、呼吸器疾患での死者は1265人にとどまった。サルファ剤の普及が大きな要因であったと、米軍の公式記録にある。

 サルファ剤によって命を救われたのは、兵士だけではない。1943年12月、世界の首脳と会談すべく、寒風の中飛び回っていたイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、チュニジアで肺炎に倒れる。各国から集まった医師団がサルファ剤を投与した結果、チャーチルの体調は無事回復し、2週間後には帰国できるまでになった。もしこれがサルファ剤の効果であったとするなら、この一事だけをもってサルファ剤は「歴史を変えた医薬品」の名に値するだろう。こう見てくると、ナチ政権下に生まれた「奇跡の薬」は、皮肉なことに連合国側により大きく貢献し、その勝利を助けた感がある。
 

感染症治療の先駆者

 その後サルファ剤は、トリメトプリムという薬と合わせて使うことによって効果が増すことがわかり、ST合剤という名で今も用いられている。しかし、その使用頻度はかつてに比べればはるかに減少した。サルファ剤はスペイン風邪のようなウイルス性疾患はもちろん、細菌感染症にも無効なものが多く、決して万能の薬ではない。また近年では、サルファ剤の効かない耐性菌が多数現れたこと、何よりペニシリンなど、さらに優れた抗生物質が多数現れたことが原因だ。歴史の中で巨大な役割を演じたサルファ剤は、今や忘れられかかった存在となっている。

 ただし、サルファ剤の効果が世に知られていなければ、ペニシリンも発見されなかったか、ずっと発見が遅れていた可能性は高い。サルファ剤は、キリストの前の洗礼者ヨハネのように、感染症医療の時代を切り拓いた先駆者であったといえよう。反面、サルファ剤の登場は、抗生物質が引き起こしている諸問題の、原点になったと見ることもできる。その抗生物質の歴史については、また次回に述べることとしよう。

佐藤健太郎(さとう けんたろう)

1970年兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職を経て、サイエン スライターに転身。2009年から3年間 東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教をつとめる。2011年ウェブ・書籍などを通じた化学コミュニケーション活動に対して、第一回化学コミュニ ケーション賞を受賞。主な著書に『医薬品クライシス』(新潮社、科学ジャーナリスト賞2010を受賞)、『有機化学美術館へようこそ』(技術評論社)、『創薬科学入門』(オーム社)、『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社)、『炭素文明論』(新潮選書)などがある。