佐藤健太郎「歴史を変えた医薬品」
第9回 サルファ剤と二つの世界大戦

佐藤 健太郎 プロフィール


 ドーマクは彼のために建てられた建物に陣取り、研究体制を整えていった。試験すべき化合物を合成するチーム、各種の病原菌に対する効果を調べるチーム、実験動物の体内でどのような反応が起きたか調べるチームなどが組まれ、整然と動くシステムが組み上げられた。エールリッヒと秦が創薬の原型を作ったとするなら、ドーマクは初めて近代的な創薬システムを整備したといえよう。

 彼らはいかにもドイツ人らしく、精力的に働いた。実験動物の臓器を薄くスライスし、染色して感染部位を確かめる「病理組織検査」に関しては、決して他人任せにすることなくドーマク自身が実験に当たった。しかしプロジェクト開始から4年を経ても、光は見えてこなかった。
 

サルファ剤の誕生 

 ようやく鉱脈が見つかってきたのは、1931年の夏であった。ドイツ化学工業の隆盛を支えてきた染料化合物には、アゾ化合物と呼ばれる一群の化合物がある。これらは、2つの窒素原子を、2つのベンゼン環(いわゆる亀の甲)が挟むように結合した化合物であった。このベンゼン環に、さまざまなパーツを結合させたものを試すうち、今までにないほど有効なものが見つかってきたのだ。そのうちいくつかは、感染させた実験動物の命を延ばすばかりでなく、完全に回復させるものさえあった。

 しかし、チームの喜びは長くは続かなかった。試験結果が、どうにも安定しなかったのだ。少し構造を変えただけで全く効き目が変わってしまうし、同じものを作って再試験しても、元の結果が再現できないこともしばしばだった。すでに約3000もの化合物を試験してきており、局面を打開する新たな化合物を合成しようにも、もはや新規な発想は尽きかかっていた。

 アイディアが尽きた時には、他分野のアイディアを持ち込むことがしばしばよい結果につながる。この時に新たな提案をしたのは、医薬品研究部門トップのヘルライン自身であった。彼は羊毛を染める染料を探索する際に、スルホンアミド基と呼ばれる硫黄原子を含んだ原子団をベンゼン環につけてやると、落ちにくい染料になることを経験していた。羊毛に結合しやすい化合物なら、細菌にも結合しやすいかもしれないというのが、彼の発想だった。

 1932年秋、アゾ化合物にスルホンアミド基を結合させたものが合成された。合成されたワインレッドの化合物を、動物に投与してみた結果は、まさに驚くべきものだった。連鎖球菌に感染したマウスに、経口あるいは注射でこの化合物を投与すると、ほぼ全てが完璧に回復したのだ。