佐藤健太郎「歴史を変えた医薬品」
第9回 サルファ剤と二つの世界大戦

佐藤 健太郎 プロフィール


 20世紀初頭、梅毒の病原体に効果を示すサルバルサンがエールリッヒと秦らによって開発され、感染症の化学療法の道を切り拓いたことは前回述べた通りだ。これに刺激され、多くの研究者が各種の細菌に有効な化合物を探索し始めた。しかし、それらの試みはほとんど実を結ばなかった。あるものは、試験管内では有効でも、生体内では効果がなかった。またあるものは効率よく病原菌を殺したが、実験動物にも強い悪影響を与えた。

 エールリッヒ自身も、サルバルサンに続く薬を生み出すべく、精力的に研究に取り組んだ。しかし彼が61歳で亡くなるまでに試験した化合物は、全て失敗に終わっている。唯一の成功例であったサルバルサンも、その副作用の強さから激しい非難を受けた。ここで受けたストレスが、彼の命を縮めたともいわれている。

 1920年代半ばになると、化学物質によって感染症を治療しようというアプローチそのものに、悲観的な見方が広がっていた。いくつかの治療薬は現れていたが、熱帯性の原虫感染症以外に対して、十分な効果のあるものはなかった。コレラ、ペスト、赤痢など、人類を悩ませてきた細菌感染症に対して、化学療法は相変わらず無力であったのだ。化学物質という武器では細菌は倒せないと見切りをつけ、研究から撤退してしまう者も少なくなかった。

 この望み薄と思われた領域に敢然と挑み、巨大な資金と人員を投入しようとする者がいた。ドイツの巨大化学コンツェルン・IGファルベンで医薬研究品部門のトップを務める、ハインリッヒ・ヘルラインがその男であった。

 真に有効な医薬を創り出すため、ヘルラインは優れた病理学者を必要としていた。関連分野の論文を読みあさり、彼が白羽の矢を立てたのは、まだ30代前半の若手研究者であったゲルハルト・ドーマクであった。地方の大学で、研究資金不足にあえいでいた彼は、一も二もなくヘルラインの誘いに飛びつく。こうして1927年、ドーマクの才能と世界最高の研究環境が結びつくこととなった。

 ドーマクは若い頃にウクライナの戦場で衛生兵を務めており、ガス壊疽による悲惨な状況を何度も目の当たりにしていた。多くの仲間の手足や生命を奪ったこの細菌感染症と、生涯かけて闘うことを、彼は決意していた。