佐藤健太郎「歴史を変えた医薬品」
第9回 サルファ剤と二つの世界大戦

佐藤 健太郎 プロフィール


 全盛期にあったローマ帝国は、パルティア戦争(165年)において、敵国の首都を陥落させておきながら、天然痘と見られる病気の発生で撤退を余儀なくされた。フランス皇帝ナポレオン1世も、ロシア戦役(1812年)において酷寒と飢え、そして発疹チフスなどに見舞われ、60万人以上の遠征軍がほぼ全滅するという憂き目を見ている。この他にも、病の発生が戦争の行方を左右した例は、世界史上いくつも知られている。

 塹壕戦の悲劇

 時代が変われば戦場の様子も変わり、それにつれて発生する病気も変わってゆく。第一次世界大戦で用いられた兵器は、それまでの戦争に比べて、量的にも質的にも大きな変化があった。銃の射程距離の延長、機関銃や大砲などの大量投入により、両陣営とも敵陣に近づくことが困難になったのだ。自然、兵士たちは塹壕を掘って立てこもることを余儀なくされた。スイス国境からイギリス海峡に至る長大な塹壕のラインが築かれ、当初半年程度で終わると思われた戦争は、膠着状態に陥った。

 湿気が多く、不衛生な塹壕は、あらゆる病原菌の温床であった。赤痢・発疹チフス・コレラなどの他、シラミが媒介するQ熱(塹壕熱)なども、兵士たちの間に蔓延した。戦闘が開始されれば、雨あられと飛んでくる砲弾によって兵士たちは傷つき、そこに土砂をかぶる。これもまた、恐るべき感染症の原因となった。土壌中には嫌気性細菌と呼ばれる、空気のない環境でのみ生きられる細菌がおり、これが傷口から入り込むのだ。

 こうした感染症としては破傷風が有名だが、第一次世界大戦の戦場において、最も問題となったのはガス壊疽であった。これは、クロストリジウム属と呼ばれる細菌が傷口から入り込み、繁殖することによって起きる。壊疽菌が放出するガスが皮下にたまって悪臭を発することを特徴とし、治療法は、壊疽を起こした場所を切断する他はなかった。野戦病院で行われたその手術自体も、甚だしい苦痛と危険を伴うものであったことはいうまでもない。

 さらに大戦末期には、史上最大の感染症・スペイン風邪が世界を襲った。1918年春にアメリカで発生したこの病気は、出征した米軍兵士とともにヨーロッパに上陸、拡大した。流行は1年半続き、当時の世界人口約18億人のうち6億人が感染、5000万人が犠牲となったとされる(数字はいずれも推定、諸説あり)。スペイン風邪による死者数は第一次世界大戦のそれをはるかに超え、戦争終結を早める要因となったといわれる。

最強チーム誕生

 このようなわけで、戦中から戦後にかけて、感染症対策のニーズはそれまで以上に高まった。19世紀に登場した消毒薬が、ずいぶんと改善をもたらしてはいたが、すでに体内で増殖してしまった細菌に対しては無力であった。作用が強すぎる消毒薬は、細菌の細胞と一緒に人体の細胞も破壊してしまうためだ。