[サッカー]
田崎健太「きっかけはアベランジェ ~伝説の代理人vol.1~」

スポーツコミュニケーションズ

アベランジェを怒らせた質問

 今も昔もサッカービジネスの主たる舞台は欧州である。90年代の日本の報道機関は世界のサッカー界の動きを追い切れていなかった。そして、今のようにインターネットで世界各国の記事を読むことも不可能だった。ぼくは国外の新聞、雑誌などを取り寄せるしかなかった。

 ただ、日本にも取材の糸口はあった。

 アベランジェが74年にFIFAの会長になり、W杯の商業化が一気に進んだ。この商業化に噛んでいたのが、日本の広告代理店の電通だった。英文、ポルトガル語の記事には「DENTSU」という単語が出ることもあった。その電通で鍵を握るのは「タカハシ」という男だった。タカハシにきちんと取材できれば、この一点においては欧州のジャーナリストを先んじることが出来るはずだった。

 ぼくは02年W杯の前後から、FIFAに加えて、電通を取材するようになった。
 アベランジェにも再び会って話を聞くことができた。もうメッセンジャーとして使われる気はなかった。彼に関する資料を調べ上げて、向き合うことにした。

 今も同じだが、ぼくはポルトガル語を理解することはできるが、大切な取材では必ず通訳をつける。取材では特に聞き方が大切だ。不自由な質問だとこちらの意図が取材対象者に伝わらないこともある。ぼくたちにとって大切なのは、語学が出来ることではなく、きちんと話を聞くことなのだ。

 アベランジェに聞きたいことは沢山あった。
 94年のFIFA会長選挙で、事務局長だったゼップ・ブラッターは、アベランジェに秘密で立候補を試みている。いわば裏切りだ。アベランジェは人の裏切りを許さない種類の男だった。ところが、ブラッターは一度組織の中枢から閉め出されたものの、その後もアベランジェを支え続け、FIFA会長となった。

 当時のことを訊ねると、アベランジェは質問とは関係ない話を延々と続けた。
 ぼくは角度を変えてもう一度訊ねた。すると通訳の日系人は「もうこれ以上、怒らせない方がいいですよ」と囁いた。 

 アベランジェは不愉快な取材者に対しては、怒り、席を立つと聞かされていた。通訳はアベランジェの雰囲気に気圧されていた。仕方がなく、ぼくは通訳を通さずポルトガル語で質問することにした。するとアベランジェは身体の向きを変えて、ぼくではなく、通訳に向かって話し始めた――。

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