[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
山﨑武司(元プロ野球選手)<前編>「逆境を救ってくれた2人の恩師」

スポーツコミュニケーションズ

3年間の試練の果てに

二宮: 山あり谷ありの野球人生。楽天に入る前はトレードされたり自由契約の身になったり……。
山﨑: 1度目の中日の最後の年とオリックスでの2年間は、本当に苦しかった。

二宮: FA権を取得した01年オフに残留を表明して、中日と3年契約をしたわけですが、02年はなかなか成績がふるいませんでしたね。
山﨑: 給料もそこそこいただいて、3年契約をしてもらっていたわけですから、普通であれば、何の心配もなく野球に専念できる環境だったんです。でも、実際は一番野球をやれなかったシーズンでしたね。正直「こんな成績で、こんなに給料をもらっていいのか?」と、自分自身が許せませんでした。「給料泥棒」と言われても仕方ないくらいの成績でしたから。

二宮: 野球ができなかった原因は何だったのでしょう?
山﨑: いろいろと人との付き合いの中で衝突がありまして……。

二宮: 03年にはオリックスにトレード移籍し、1年目は110試合に出場して83安打と、まずまずの成績でした。ところが、2年目は62試合にしか出場していません。
山﨑: オリックス2年目も、自分としてはまぁまぁ調子は良かったんです。ところが、理由もわからぬまま二軍行きを命じられたんです。正直、納得いきませんでしたね。あの時は、愛知県に家族を残して単身で神戸に行っていたというのもあって、本当に辛かったです。

二宮: そしてその年のオフ、山﨑さんは自らの意思で退団しました。当時、プロ野球では史上初のストライキが決行されるなど、「プロ野球再編問題」が巻き起こっていた。その結果として誕生したのが、新規参入を果たした楽天でした。
山﨑: 今思えば、その年僕はオリックスを退団し、楽天と契約するわけですから、渦中にいた人物ではありますが、当時は正直「自分には関係ない話だな」と静観していました。どうせもう野球を辞めるわけだし、どことどこが合併しようが、どんな新しい球団ができようが、勝手にやってください、という感じだったんです。

二宮: ところがその数カ月後には、新しく誕生した楽天と契約しました。運命ってわからないものですよね。
山﨑: 本当にそう思います。楽天と契約した時も、1年目で結果が出なかったら、引退して名古屋に帰ろうと思っていたんです。それが、7年もやらせてもらえることになるとは、思ってもいませんでした。

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