森喜朗×田原総一朗「松井秀喜との秘話、そしてアフリカ外交より地元が大事な外務大臣」

『日本政治のウラのウラ 証言・政界50年』より(第2回)
日本政治のウラのウラ 証言・政界50年
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森 喜朗、 田原 総一朗(聞き手)
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――松井は二〇一二年十二月に現役引退を表明した。だけど、日本に帰らないと言っているんですね。

森 それで、会う約束までしていたんだけど、その前に国民栄誉賞の授賞がポーンと決まっちゃったわけだ。

――松井秀喜と長嶋茂雄がダブルで受賞した。

森 松井は、読売ジャイアンツにはものすごい複雑なものがあったんですよ。二〇〇二年にニューヨーク・ヤンキースに移籍してから毎年、日本に帰国しても一度も読売新聞グループ本社会長の渡邉恒雄さんのところへ挨拶に行っていないと聞いています。だから、渡邉さんがすごく気にしていた。ぼくも松井に「一年に一度、日本に帰ってきたのなら、挨拶ぐらい行くのが常識じゃないかな」と何度も言ったんだけどね。

――何があったんですかね。

森 松井はもともとジャイアンツじゃなくて、阪神タイガースに行きたかったようでした。

――なるほど。その辺りからあるんだ。

森 親父さんは阪神ファン。それに、松井の母校である石川県の星稜高校野球部はずっと、中日とのラインができていたんです。ところが、ジャイアンツがドラフト会議の抽選で松井を引き当てた。それで、松井はジャイアンツに入団したけれど、長嶋監督とは合わなかったのかな、徹底的に外されていたようです。松井が入団した同じ年に、監督の息子・長嶋一茂もヤクルトスワローズから移籍してきているんですよ。

――あ、そうか。そういうことがあったんですね。

森 問題は、松井も一茂も守備位置がサードなんだ。三塁手なんですね。ところが、長嶋監督は松井に、サードを一回もやらせなかった。彼にとっては、それがもっとも辛かったんじゃないでしょうか。なぜサードをやらせなかったのか。ヤクルトから一茂を取ってまでして、松井にサードをやらせない。われわれ地元のファンは、当時すごく残念に思っていたものです。

――なんでだろう。

森 察するに、ジャイアンツの永遠のサードは、長嶋なんでしょうかね。

――あっ、そうか。

森 そういえば、昔、長嶋がジャイアンツに入団した時に、同時に入った三塁手のスラッガーで、難波昭二郎という選手がいました。

――関西大学出身で、大学時代は「東の長嶋、西の難波」と言われていましたね。

森 そうです。ぼくは当時ジャイアンツ・ファンだったんだけど、長嶋がいるのに、なぜ難波を取ったんだろうと、不思議に思っていたんです。競わせるという意味があったのか。それとも難波がほかのチームで大活躍でもするのを恐れたのか。でも、結局、巨人は難波を飼い殺しにしてしまいます。選手としては日の目を見ることなく、四年ほどで辞めさせたんですね。