途上国の貧しい家庭において今でも、30,000円ほどの値段で子どもが売られ、性的な仕事を強要させられている現状がある。「いい仕事がある」「家の借金が返せるよ」などとだまされ、抜け出せずにいるケースも多い。この「子どもが売られる問題」を解決しようと、2002年、当時大学生だった3人が立ち上がり、10年間活動を続けてきた。
「かものはしプロジェクト」のはじまりは、共同代表である村田早耶香氏(32)の「子どもが売られない世界をつくる」という想いだった。
11年目を迎える今、彼女が振り返る原点とこれから---
かものはしプロジェクトは、「子どもが売られない世界をつくる」ために活動しているNPO法人で、カンボジア、インド、日本で活動しています。
この活動は、私が19歳のときに「子どもが売られる問題」と出会ったことが始まりです。
その出会いは、大学2年生のときの授業で読んだ新聞記事でした。そこ書かれていたのは、東南アジアに住む「ミーチャ」という女の子が、貧しさのため12歳で出稼ぎにでて、強制的に売春宿で働かされ、20歳でエイズによって亡くなったということでした。彼女は亡くなる間際、「学校へ行って勉強してみたかった」と言っていたといいます。ちょうど亡くなった子と同じ年くらいだった当時の私は、その話に強い衝撃を受けました。
そして、その事実を自分の目で確かめたいと思い、19歳の夏休み、初めてのアルバイトで貯めたお金で、タイのスタディツアーに参加しました。滞在中、私は児童買春の被害者を保護している施設を訪問し、そこでまだ5歳くらいのエイズ孤児に会いました。その子の母親は17歳の時に売春宿に売られていて、その子も母子感染したエイズウィルスを持っていたのです。
自分で目にしたこの事実に衝撃を受け、私は何とかこの問題を解決したいと思い、帰国後、自分にできることを探しました。その中で、自分の人生の転機になる仲間との出会いがありました。今も当団体で共同代表をしている青木健太と本木恵介の二人です。
当時の私は、問題を解決したいと思っていたものの、自信もなくて、普通に就職して普通に社会人経験を積んで人脈を作り、40歳くらいになったらこの活動を始めようと思っていました。でも、本木が、「経験がないのであれば経験がある人に教えてもらえばいい、人脈がないのであれば人脈がある人に紹介してもらえばいいから、今からこの活動を始めよう!」と言ってくれたのです。その言葉を聞いたとき、「今この瞬間にも売られている子どもを助けたい!」という強い思いが湧き上がり、彼らと一緒に、学生中の2002年、「かものはしプロジェクト」を設立しました。
団体を立ち上げた当初は、数えきれないほど様々な苦労の連続でした。団体の根幹を揺るがすような議論もあり、自分自身のリーダーシップに悩むことも多々あり、団体解散の危機も幾度もありました。そんな中、この活動を10年間続けることができたのは、私たちの仲間になって子どもに思いを寄せ続けてくださる支援者の方がいるからだと思っています。