『癒しのランニング』著:金 哲彦---ランニング文化の新しい可能性

自ら命を絶つ多くの人がうつ病であると聞く。生きていることが辛すぎて死ぬ人もいるだろうが、うつ病の人たちは、自分は生きている価値がないと考えるとも聞いた。大腸がんから復帰し、走ることで命の大切さや素晴らしさを実感した私にとって、自殺は身が引き裂かれるような現実なのだ。

身内の紹介で、うつ病患者さんたちと対面する日はほどなくやってきた。

病院スタッフと簡単な打ち合わせをした後、いつも作業療法士さんが行っている散歩のプログラムを少し発展させて、私なりの運動処方を試みた。

まずは簡単なストレッチから。

できるだけ笑顔を心がけた。しかし、心は葛藤していた。目の前にいるうつ病患者さんになにができるのか? ランニングの専門家ではあるが医者でも作業療法士でもない。薬も処方できない。かけてあげる言葉も見つからない。

一方の患者さんたちも、きっとこう思っていたに違いない。

「スポーツウェアで愛想笑いの元気なおじさん誰? ちょっと場違いかもよ」と。

うつ病の人はみな姿勢が極端に悪い。いつも下を向いているし、ベッドに横になっているからだろう。また、ごく簡単なストレッチなのだが、それを行う患者さんの背中と肩が異常に固いことに気付いた。みなどこか緊張しているのだ。表情はぼーっとしているが身体が緊張している状態。これはスポーツのピークパフォーマンスと真逆。

一流アスリートが素晴らしいパフォーマンスを上げたときの状態を心理学で分析すると、心は最高の集中力で研ぎすまされているのに、身体は究極にリラックスしている。たとえば、動体視力は高くなり、猛スピードのボールが止まって見えるらしい。

少し想像してみた。もし、うつになってしまった原因が対人関係だとしたら、知らない人がいるだけでも緊張してしまうのかもしれない。人の心の中は表情や言葉にでてくるものだが、うつ病患者は、立ち振る舞いそのものに心の闇が醸し出されている。

少し身体が暖まったところで、軽いジャンプ運動を取り入れてみた。「ランニングという運動は片脚ジャンプの連続である」という定義は、いつも口を酸っぱくして伝えている基本中の基本。