鈍足の4番打者にして、愛すべき酔っぱらい 阪神タイガース「遠井のゴロちゃん(遠井吾郎)」を語ろう

今週のディープ・ピープル
田淵幸一×江夏豊×川藤幸三

週刊現代 プロフィール

川藤 プロ野球史上でも前代未聞やな(笑)。普通は後輩にそんなことされたら怒るわ。でも、なんでカーブなんか投げたんや。

江夏 そのときは味方が点を取ってくれなくてね。チャンスで遠井さんが打てなくて頭に来てやってしまった。でも、なんて優しい人なんだと思った。

田淵 「仏のゴロー」と言われたくらいだからね。俺も途中から「ゴローちゃん」って呼ばせてもらっていたけど、先輩にそんなことを言っても平気だったのは遠井さんだけだよな。

江夏 それと'60~'70年代の阪神は人間関係で苦労させられる部分があったじゃないか。

川藤 ややこしい時代やで。有名なのは吉田義男派、村山派。完璧に二分されていた。でも、遠井さんだけは誰にもなびかなかった。

江夏 遠井さんがいてくれたおかげで救われた部分があった。

田淵 遠井さんや俺たちは吉田派と村山派の真ん中にいたからな。

 

川藤 遠井さんが一番嫌ったのは派閥やったと思う。あるとき一回だけ「カワ、絶対に派閥はアカンど。これから先も、もしそういう状況があったら、おまえは絶対に真ん中におれよ。川藤派があってもアカンし、後輩にそういうふうに見られるようになってもアカン」と言われたことがあったよ。

田淵 もしその当時、阪神が一つにまとまっていたら、巨人のV9はなかったと思う。俺がいた10年間で5回、2位だったけど、巨人みたいな団結心があったら結果は違っていた。

江夏 遠井さんはわかっていたんやろうね。

川藤 だから、感情を表に出す人じゃなかったけど、'85年に優勝したときは本当に喜んでくれた。遠井さんは'77年に引退してコーチを1年やった後は、北新地にスナックを出していた。「優勝したら店でドンチャンやったるからな」言うてて、本当にやってもらった。

田淵 スナック「ゴロー」な。大阪に行く度に1回は必ず顔を見に行ったよ。でも、いつも店にはいない。それで電話すると、今から行くと言って来るんだけど、どこかで飲んでいるんだよな。ただ、やっぱり飲みすぎたのかな。65歳の若さで亡くなってしまったのは、残念でしかたがない。

江夏 ちょうど今の俺の歳で亡くなったのか。早いな。

川藤 葬儀の後に大阪でお別れの会をやったけど、本当にたくさんの人がきた。遠井さんの子供たちが「父のためにあんなに大勢の人に集まってもらえるとは、思っていませんでした」と恐縮していたけど、阪神の人間やったら誰でも一度は、遠井さんに世話になっとるからな。