明仁天皇と接した75年 幼稚園児のころからの級友(明石元紹氏)が初めて明かした

スペシャル・インタビュー
週刊現代 プロフィール

陛下に影響を与えたもうひとりの人物は、東宮御教育常時参与、元慶應義塾塾長の小泉信三先生です。

陛下は小泉先生から、誰に対しても人格を尊重することが本当の権威であるという薫陶を受けられました。というのも、後年、陛下は会見でお好きな言葉として「忠恕」を挙げられたことがありました。「忠」は誠実で嘘をつかず、「恕」は人にやさしく接することですが、これは小泉先生とともに過ごされた中で、陛下が学ばれた精神なのです。

天皇に即位される以前は日曜日によくポロをなさり、私も30年ほど、よくお相手をさせていただきました。

ポロを楽しまれるときは宮内庁の職員も参加するのですが、陛下はまったく分け隔てなく周囲の人たちと接します。そんなとき陛下のおそばにおりますと、ときにそのお心に触れてハッとさせられることがありました。いつだったか、競技の合間の団欒中に、馬を運ぶ車の運転手さんが門の傍で待機しているのをご覧になり、「どうしてあの方もここへ呼ばないの?」とおっしゃったことがあった。

その運転手さんは、自分は部外者だからと遠慮してほとんど見えない場所で待機していたのですが、陛下は宮内庁職員も学友も出入りの業者も、みな同じひとりの人間として見ておられると、そのとき改めて思ったものです。

そうしたお心をもった陛下は、「国民とともに歩む皇室」を築き上げんとされてきました。そして、陛下が人生の伴侶に選ばれた美智子さまもまた、非常に聡明な方でいらっしゃいます。ご公務ではつねに陛下に寄り添い、つつましく控えておられますが、皇居でリラックスされているときは、いたって朗らかで活発におしゃべりになり、冗談も口にされます。そして、いざというときには、パッと行動がおできになるお方です。

そんな美智子さまのお人柄を象徴する出来事があります。昭和天皇の最晩年、ご発病初期の頃のこと。昭和天皇のお誕生日にお身内だけの祝宴が開かれたのですが、その席で、昭和天皇が激しく嘔吐された。突然のことで、その場にいた皇族の方々も職員もみなどうしてよいかわからず呆然と立ち尽くすなか、昭和天皇のもとに駆け寄って介抱されたのが、美智子さまだったというのです。当時は、天皇の玉体に触れることが憚られていた昭和の時代。しかし、この勇気ある美智子さまの「行動」に、批判の声はどこからもあがらなかったそうです。

級友の胸ぐらを摑んだ

そんな聡明な美智子さまを、陛下は心から愛していらっしゃる。それは、結婚前から変わりません。

恋が実ってご成婚が決まったある日、高等科の馬術部の仲間数人で、御所までお祝いに伺ったことがありました。そこに同級の、ある通信社の記者が「参加させてくれ」と言って、同行したのです。