明仁天皇と接した75年 幼稚園児のころからの級友(明石元紹氏)が初めて明かした

スペシャル・インタビュー
週刊現代 プロフィール

学習院幼稚園時代から明仁親王と交友が始まり、初等科の高学年にはともに日光に疎開。同高等科では、今上天皇がキャプテンを務めていた馬術部に所属していた。

大学は慶應義塾大学に進んだが、両陛下ご成婚後もポロやテニスなどのスポーツをともにし、今上天皇の素顔をもっとも知る級友のひとりである。12月5日、『今上天皇 つくらざる尊厳 級友が綴る明仁親王』(講談社)を上梓した。

東日本大震災の被災地で一人ひとりの被災者に跪いて寄り添う両陛下のお姿には、多くの国民が感銘を受けたと思います。つねに全力で責任を果たそうとする陛下のお心と行動は、どのようにして形成されていったのか。私たち日本人が皇室を守り続けたいと願うならば、それをうかがい知ることは、とても大切だと思うのです。そのために、陛下の小学校時代に遡ってお話ししていきましょう。

学習院初等科の私たちのクラス「東組」には、いつも宮内省の傅育官が一人、教室の後ろに立っていました。いわば皇太子殿下専任の教育係で、殿下に対してなかなか厳しかったものです。「背筋を伸ばしなさい」「前を見て」「ポケットに手を入れてはいけない」「動作を機敏に」などと、しつこく注意を与えていました。

低学年のころの殿下は、どちらかというと消極的で表現力に乏しく、先生に質問されてモジモジされることがありました。あるとき、傅育官がツカツカと歩み寄って、「しっかりしなさい」と殿下の背中を強く突いたのを覚えています。殿下はよく「姿勢をよくしなさい」と注意されていました。あれも将来、君主として人前に立つときの修行だったと、のちに思ったものです。

とはいえ、この傅育官の存在を除けば、殿下は私たちと同じ、明仁という一人の少年でした。私たちの小学生時代はちょうど戦時中で、国家あげての精神主義のさなか。それでも、学習院は平時の感覚となんら変わらない、伝統を重んじながらも自主性を大切にする学校でした。そのような環境の中でお過ごしになられたからでしょうか。のちに、ポロの練習をしていた日のこと、休憩中に殿下がそっと私にこうおっしゃったことがあります。

親子水入らずの3日間

「僕はいろんな人から御進講を受けているけど、三島由紀夫さんのお話は聞かない。三島さんの思想は、八紘一宇、国民皆兵で、天皇は私的な一家の幸せを求めるものではないと考えているんじゃないかな」

三島さんの思想は、いわば皇室の人間否定で、殿下が思い描いていた幸せな家庭生活を否定する考えだと思われていたようです。

殿下が「家庭」というものに特別な思いを抱かれたのは、3歳でご両親と別居して育てられたという生い立ちが関係しています。親子間のかかわりは、最小限にとどめられていました。日光への疎開中も、級友たちは、たまに訪ねてくる父母と再会を喜び合っていましたが、殿下だけはこの喜びを味わえないでいたのです。さぞ、お寂しかったことでしょう。