[プロ野球]
上田哲之「究極の前田智徳論」

スポーツコミュニケーションズ

徹底された美学

 ところで、買いこんだ“前田関連資料”に目を通していて、抜群に面白かった記事がある。堂林翔太のインタビュー「宿命づけられた試練」(『広島アスリートマガジン』特別増刊号)である。堂林については、今は詳しく触れない。広島で期待の若手だが、今季は大不振で、しかも、8月に死球を受けて左手を骨折し、シーズンを棒に振った。来季に再起をかけている、ということを知っておいてもらえばいい。

 この若手野手に対して前田は、引退会見の前日に、なんと4時間、話をしたのだそうだ。現役時代は、あまり人と口をきこうとしないことで有名だったけれども、いくら引退を決めたとはいえ、一転して4時間話すというのも、なかなか前田らしく、尋常ではない。ぜひ、その4時間の内容をつぶさに知りたいと思うけれども、記事からわかるのは、そのほんの一部である。

 以下、堂林の発言。
<僕の場合、打つ瞬間にバットを寝かせているので、『神興を担ぐような打ち方、やめぇ』って。まずはそこを直してからだと>(同)
 別の箇所。
<『あのひとつのフォーム(バットを寝かせる)でだいぶ変わった』と。12年はスッとバットが出ていたのに、13年はワンクッション置いてから出ていると指摘されました>(同)

 これは貴重な証言だと思う。つまり前田は、堂林の12年のフォームと13年のフォームを比べて、動作がひとつ増えていることが、不振の原因だと見抜いていたということだ。それが「バットを寝かせる」動きであったために、これは想像だが、まず最初に「神輿を担ぐような打ち方、やめぇ」と言い放ったのではあるまいか。

 もちろん、その細かい観察眼に感心することもできる。それよりも、はからずも吐露された、前田の打撃に対する美学を読み取りたい。彼は、少しでもバットのヘッドが寝るような動きが嫌いなのである。それから、もちろんフォームに微塵もムダな動きが含まれることを許せない。

 打者なら誰でもそうだ、と言われるかもしれない。しかし、前田はこの美学を、生涯かけて徹底して追求した。凡百の一流選手とは、その追求の徹底ぶりにおいて、大きな懸隔があったのではないか。そこに、彼だけが実現できたバッティングフォームの美しさの原因がある。