第59回 エルヴィス・プレスリー(その一)
極貧の家庭から世界的スターへ―若者を熱狂させた「ロックの王様」

福田 和也

一九五五年、エルヴィスの両親は、トム・パーカー(通称、パーカー大佐)と契約し、結果としてサン・レコードとの関係は断ち切られた。
大佐は、エルヴィスにRCAと契約させた。

翌年の一月、トミー・ドーシーとジミー・ドーシーの『ステージ・ショー』に出演し、リズム&ブルースを歌った。
当時、白人がソウル・ミュージックを歌う事は珍しく、教育団体などから批判をうけたが、若者たちは熱狂した。

そして同じ一九五六年、『ハートブレーク・ホテル』がリリースされる。
この一曲で、エルヴィスは、押しも押されもしない、アメリカを代表するシンガーと見なされるようになったのである。

兵役についている間もメディアで報じられ続けた

一九五八年、エルヴィスはアメリカ陸軍に徴兵された。
当時、東西冷戦の最盛期であり、若者は前線基地に送り込まれていた。

大佐は、策を弄する事をせず、エルヴィスを入隊させた。
特権を行使して、エルヴィスが批判され、人気を失うことを危惧したのである。
配属先は、西ドイツのアメリカ軍基地で、エルヴィスは、ジープの運転手として働いた。
軍に在籍中、空手の黒帯を取得した。

プレスリー(1935~1977)「史上最も成功したソロ・アーティスト」としてギネスに認定されたほか、30本を超える映画出演ではすべてで主役を張った

エルヴィスは帰国し、ニュージャージー州のディックス駐屯所主計事務所から、除隊小切手を受けとった。
旅費、食費、衣服費で百九ドル五十四セント。迎えに来たパーカー大佐は、「俺の取り分をわすれるなよ」と、新聞記者たちが聞こえるように云った。
エルヴィスは、大佐に小切手を渡す。

六人の憲兵に囲まれて、リムジンに向かって歩いてゆく。
駐屯地の楽隊が「蛍の光」を演奏した。
六人の女の子が、エルヴィスに向けて駆け寄ってきた。
憲兵は阻止しようとしたが、エルヴィスは、ファンに笑顔を見せ、トランクからサイン用の写真を選び、一人ずつ宛名を書いた。

兵士たちは、盛んにエルヴィスに対して手を振った。
大佐は、大任をなし遂げた。
エルヴィスが兵役を務めている間、一日もかかさず、何らかの、エルヴィスの消息をメディアに流し続けたのである。

大佐についての毀誉褒貶は激しかったが、どのような敏腕マネージャーであっても、兵役についたスターの情報を、毎日、流す事は出来ないだろう。
この「作戦」を大佐は、「巧みな嘘」と呼んでいたという。