わたしはいま、齢72にして人生の真夏日を謳歌している。いよいよ満を持して、メルマガを立ち上げることになったのだ。東スポの連載が終了して以来、フリースタイルのエッセイは長いこと書いていないので材料は溜まりに溜まっている。暴発寸前だ。しかもこのメルマガを読んでくれるのはエクスクルーシブな仲間たちだというではないか。セオ編集長によれば、OBラインすれすれの内容でもOKだそうだ。担当編集者のヒノも脂ののったベテランだから頼りになる。
72歳まで生きてきて少し分かったことがある。それは「人生は運と縁とセンスである」ということだ。人生は真にままならないものではあるが、運と縁とセンスに恵まれていれば、仕事も遊びも恋情も友情も何とかなるのではないだろうか。
人生を決めるのは人や物との出会いである。人それぞれにいろいろな形の出会いがある。わたしは、かつての東スポの連載を「紀元」として、東スポ以前を「BC」、東スポ以後を「AD」と勝手に呼んでいる。担当編集者たちもこれで分けることができる。たとえば『pen』のサトウはADであり、『MEN'S Precious』の元編集長ハシモトもADである。彼らは東スポの連載を纏めたわたしの処女作『甘い生活』を読んで、ユニークな連載を頼みにきたのだ。「乗り移り人生相談」のミツハシと知り合ったのはちょうどBCとADの境目あたりだった。そして「現代ビジネス」のセオとヒノとはBC時代からの付き合いである。
わたしは67歳でフリーの物書きになり、そこからパソコンとの格闘が始まった。それまではずっと万年筆を使って原稿用紙に書いていたのだ。今だから白状するが、はじめのうちは原稿をメールに添付して送稿するテクニックも知らなかった。担当編集者に仕事場まで来てもらい、そこから自分宛てにメールを送信してもらっていたのだ。当時、みんな口を揃えてこぼしたものである。
「シマジさん、これでは原稿を受け取りに作家の家に通っていた大昔のスタイルとまったく変わりません」
みんな、すまなかった。でももう大丈夫だ。
ついでに恥ずかしいことを告白すると、パソコンを使いはじめて半年ほどは、まず原稿用紙に手書きして、それを見ながらポツリ、ポツリと雨垂れのごとく左右の中指を酷使してキーボードを叩いていたのである。最近になってようやく、脳に閃いたことが直に指先に伝わり、万年筆で書くのと同じ感覚で文章を打ち込めるようになった。これはわたしにとって"産業革命"である。メルマガ・デビューの機がついに熟したのだ。
さあ、スパイスの効いた連載をはじめよう。門構えに素敵なイラストを描いてくださった天才、宇野亜喜良先生のお顔を汚さぬよう、傑作を書くとしようじゃないか。
島地勝彦