株式会社タニタは、私の父である谷田五八士が1944年に創業した会社です。私は五八士の四男で1987年から2008年まで21年にわたって代表取締役社長を務めました。会社の経営を次男の千里に任せてからは講演活動やコンサルタント業をしながら、世界をもっと健康にするべく活動しております。
今、多くの方々が、主力商品である体脂肪計や体組成計、さらに2010年に出版された『体脂肪計タニタの社員食堂』(大和書房)で、タニタのことを認知してくださっていることと思います。
この前年にNHKの番組で、私どもの社員食堂では「肥満をなくすためのメニューを提供している」と紹介されたことがありました。これをご覧になった編集者からのオファーで作ったこの書籍は、その後、シリーズ累計520万部を突破し、東京・丸の内にオープンした「丸の内タニタ食堂」にも多くのお客様にお越しいただくなど、ちょっとした社会現象にもなりました。それゆえ、タニタと言えば「社員食堂」、場合によっては「マーケティングが上手くいった会社」というイメージを抱いている方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、ここに至るには実に様々な紆余曲折の軌跡があったのです。私が1983年に副社長に就任し実質的な経営指揮を執るようになったとき、会社は大赤字の低迷期でした。今では体脂肪計など健康に関する事業を核として事業展開をしているタニタですが、当時はライター事業、トースターなどの調理器事業、そしてヘルスメーター事業の3つを柱としていました。しかし、赤字の解消とその後の飛躍のために、自社ブランドの強みを生かせるヘルスメーターの業績をいかに伸ばしていくかに目標を絞り、他の事業からの撤退を決断しました。私はここに会社の生き残りをかけたのです。
ただ、そこには従業員のリストラなど大きな苦痛が伴いました。赤字脱却のために必要なこととはいえ、社内の士気は目に見えて落ちていきます。会社を覆う重たい空気。私は、この状況を少しでも好転させようと、ひとつの宣言をしました。それが「ヘルスメーターでの売り上げ世界一!」でした。この目標を立てたとき、世界から見ればタニタはランキングにも入っていない、まさに「圏外」の立場でした。それでも「世界一」という目標に向かって、工場移転や海外進出など様々な決断をします。
1990年のベストウェイトセンター設立も、そのために打った布石のひとつでした。このセンターは、言わば日本初の肥満対策施設で、ジムやプールなどの設備が整っているだけでなく、専門的な知識を持った医師や栄養士の減量指導も受けられるようにしたのです。私が会社の業績とは直接関係のなさそうなこの施設に、周囲の反対にもかかわらず巨費を投じたのは次のような理由からです。
私たちのビジネスをあくまで「体重計の会社である」と考えていたら、そこで終わりです。しかし、「体重とは何か」「なぜ増え、どうすれば減るのか」という疑問を掘り下げていくと、おのずと「体重を〝はかる〟」、また「健康」そのものまでがビジネス領域に入ってきます。私は、このための第一歩として、ベストウェイトセンターを作ったのでした。
その結果として、このセンター単体では大きな赤字を生んでしまったものの、ここで体重の研究を重ねていく過程で、大きな発見をします。そのきっかけとなったのは、医師のこんなひと言でした。「社長、肥満というのは『体重』ではない、『脂肪』の量が問題なのです」。まだ肥満の問題が「脂肪」にあるという概念が一般的ではなかったときのこと、私はこの言葉に驚きました。その医師は、体重だけではなく、脂肪もはかれる機器ができれば、より健康的に瘦せることができると言うのです。
企業が生き残るための、最も単純で最も大切なことは「オンリーワン」を持つことです。他社にはない強みを持つことこそ、企業が成長するうえで欠かせない要素です。私は、この体重計と脂肪計の一体型の商品こそ、我が社のオンリーワンになり得ると直感的に思いました。そしてこの直感は当たり、タニタの体脂肪計付きヘルスメーターは多くの人に利用していただけるようになったのです。
工場の移転、海外進出、そしてこの体脂肪計付きヘルスメーターのヒットなど、こうした様々な変遷の末、1997年、ついに世界一の夢を実現することができました。
私がこのたび上梓した『タニタはこうして世界一になった「タニタの社員食堂」誕生秘話を交えて』(講談社)は、それまでの軌跡を詳しく綴ったものです。社員数百人規模、まさに日本の中小企業に過ぎなかったタニタが辿ってきた道を知っていただくことで、読者の皆様にも、ご自身の「強み」をいかに見つけ伸ばしていくかについて、いくばくかの示唆をご提示できることを願っています。
(たにだ・だいすけ株式会社タニタ前代表取締役社長)